概要
アメリカ合衆国に実在した凶悪殺人鬼。本名セオドア・ロバート・バンディ。高知能連続殺人犯およびシリアルキラーの代表格。
英語圏における連続殺人犯の通称「シリアル(serial=連続、順列)・キラー」が生み出される切っ掛けとなり、またFBI行動科学科が全米規模で殺人データベースを作る理由となり、さらにアメリカのポルノ規制に関する法案の通称「バンディ法案」の語源となるなど、アメリカの犯罪捜査や政治面に大きな影響を与えた人物として知られる。
IQ160の頭脳、高学歴、優れたルックスと言い回しなど、およそフィクション作品から飛び出してきたかのような犯罪者で、容疑者となって死刑が確定して以降も数多の女性ファンを獲得したが、その実態はおぞましいまでの性倒錯殺人鬼である。
文中では呼称をバンディとして統一する。
生い立ち
セオドア・ロバート・バンディは1946年1月24日に生まれた。
高校を卒業したばかりの母親が、流れ者の男に誘惑されたあげく捨てられ、その結果生まれた私生児であった。
母は生まれたばかりの彼を里子に出すかどうか、両親と相談しに帰郷したため、約2か月もの間施設に預けられていたという。
結局実母とその両親はバンディを引き取ったが、体面を恐れて彼を母の弟として育てた。
直接の養育者となった祖父は旧態依然とした絶対的暴君であり、動物を虐待し、平然と家族へ暴力を振るう人物だった。
こういった成長環境から、バンディはソシオパス(反社会性パーソナリティ障害)を発症したという説もあり、泊まりに来た親類のベッドへ包丁を刺しこもうとした、という証言がある。
ただしバンディ本人は祖父の虐待を一貫して否定し、詳しく語っていない。
外見上、家庭環境がバンディに大きなハンデを与えたようには見えず、周囲からは頭も顔もよく、ウィットに富んだ少年と思われていた。
「彼はほんのわずかな会話で周りを笑わせることができた。なのにそのあとを続ける自信がないようだった。社会的な局面になると急に黙ってしまう。女の子や新しい友達と付き合うのがすごく苦手そうだった」
と語っている。
それはバンディが私生児の素性を隠すためにかぶった「プライド」という仮面が原因だった。
高すぎるプライド故に失敗することを恐れたバンディは、自信の無いことには挑めなかった。
スポーツの大部分は避け、確実な答えの用意されている授業において自分自身のアイデンティティを確立しようとした。
高校時代まではそれが通用したが、大学ではそうはいかなかった。バンディ並の秀才はごろごろしており、といって社会性のない彼が課外活動で上手くやれるはずもない。
友愛会にも所属せず、唯一参加していたのが中国語の学習だった。そこでの出会いが、バンディの性質を定める運命へ導いていく。
センター分けのストレート美人
ステファニー・ブルックスは、バンディと相反する高嶺の花だった。家は裕福で、美しく教養があり、外交的で明るく世慣れていた。
ストレートの長髪をセンターで分けた彼女にバンディは夢中になり、また彼女もバンディのナイーブさに惹かれていった。
バンディはステファニーを想うあまり、それまで在籍していたワシントン大学からスタンフォード大学の中国語科へ編入したほどだった。
ところがそれは大きな選択ミスだった。
家から離れ、同級生にも馴染めずに孤独感に苛まれたバンディは、授業に遅れるようになり、その上ステファニーがいつまで経っても子供っぽいバンディに飽きて、恋人関係を解消してしまったのである。
絶望したバンディは成績が急落し、ついには大学を辞めてしまう。
ドロップアウト後、盗みやアルバイトで食いつないでいたバンディへ、ひょんなことから共和党のワシントン州副知事候補アート・フレッチャーの選挙ボランティアの話が舞い込んだ。
彼はすぐその話に飛びついた。選挙運動中なら、参加しているだけで憧れた上流階級の人々と対等に会話できるからだ。
このボランティア活動を通じ、バンディはそれまで欠けていた自信を養っていく。
ワシントン州共和党委員会の副議長に選出され、強盗犯人を自力で逮捕し、湖で溺れていた子供を助け、自殺志願者救援サービス「いのちの電話」で働いた。
さらに再び学業意欲に燃えてユタ大学のロースクールに挑戦した際には、ワシントン州知事の推薦状まで受けたほどである。
バンディはかつての気弱さがウソだったかのような、魅力あふれる男性へ変身を遂げた。
1973年7月、バンディは再びステファニーに会うためカリフォルニアへ飛んだ。彼の明らかな変身ぶりにステファニーは激しく魅了され、すぐさま婚約を結んでしまう。
しかしその直後、バンディは冷淡になった。クリスマスの約束をキャンセルし、婚約を破棄。
バンディは最初から、自分を振ったステファニーへ同じ報復をするために再会したのだ。
しかしバンディの内に秘められた黒い衝動はそれで満足しなかった。
翌年1月、シアトルで睡眠中の女性が襲われ、昏睡状態に陥る重傷を負わされた。バンディの3年間にわたる凶行の始まりだった。
ギプスの男
1974年2月からは、毎月若い女性が一人行方不明になった。4月、7月には彼女らの失踪に関わっていそうな男の目撃情報も出た。
- 失踪者は全員、大学生くらいの年齢で、身持ちが固そうな女性だった。売春婦や家出娘のような、男の誘惑に乗りやすいタイプではない。
- 失踪に関わっている男は「テッド」を名乗り、いつも片腕にギプスをつけている。
- 行方不明者は皆「長髪のセンター分け」という髪型の特徴があった。逮捕後に明らかになることだが、バンディがかつて夢中になったステファニーの特徴と合致している。
これらの情報が判明しても、容疑者の逮捕は容易ではなかった。バンディは並外れた誘惑テクニックと、旺盛な「衝動」、そして用心深さを併せ持つ連続殺人犯だったのである。
彼は乱暴そうに見えない甘いルックスを利用し、ギプスをはめた怪我人と見せかけて獲物の油断を誘い、隙をみて暴行殺人に及ぶ手口を毎回のように使った。
同じ場所で犯行を続けることが危険であることもよく理解しており、時を見て狩り場を移すことも怠らなかった。
ワシントン、ユタ、コロラド――州境を越えて移動する殺人鬼に対し、当時の警察は打つ手がなかった。
ところが1975年8月16日、夜中にドライブ中だったバンディは、たまたまパトカーに出くわしてパニックを起こし、無意識に逃亡を図ってしまう。
結局車を止めさせられ、車内を捜索した警官によってスキーマスク、手錠、金てこ、拷問用具、女性のものと思われる毛髪が発見された。
そして前年に運よくバンディの魔手から逃れた女性の証言によって、誘拐罪で起訴される。状況から警察はバンディが件の連続殺人犯と見て、追及の手を強めた。
バンディの逮捕には、友人どころか司法の側も戸惑いを隠せなかった。
顔立ちも成績も経歴も優れ、当時同棲していた恋人の連れ子を人一倍可愛がるような男が、どうして連続殺人など犯せるのか。
しかも警察は、逮捕から半年経っても殺人罪での起訴に足る証拠を集められない有様だった。結局バンディは誘拐罪のみで1年~15年の不定期刑となった。
安堵するバンディの前に、しかし新たな証拠が突きつけられた。コロラド州で行方不明になった女性の毛髪が、車から発見された毛髪と一致したのである。
脱走
1977年、殺人容疑の裁判はコロラド州アスペンで行われることになった。
殺人とあっては簡単に逃げられない、そう危機感を募らせたバンディは、腹案を持って二階の法律図書室への入室許可を得ると、その窓から飛び降りてまんまと脱走に成功する。
さながらダークヒーローを思わせる鮮やかな脱走劇によって、バンディは一躍人気者に登りつめた。
アスペン市では肉の逃げ出した「バンディ・バーガー」、メキシカン・ジャンピング・ビーンの入った「バンディ・カクテル」を出す店が続出。バンディの写真入りTシャツが飛ぶように売れ、ディスコ客は「バンディは生きている」と合唱し、ヒッチハイカーは「バンディじゃないよ」のカードをあげて指を立てた。
だがバンディは自分で思っていたほど賢くなかった。アスペン山中に入ったあと警察の裏をかいて南に逃げるつもりが、大回りして元の場所へ戻ってきてしまっていた。
逃亡から一週間、バンディは盗んだ車を運転中に警察を見て、またもパニックを起こし再逮捕された。
明確な答えのある学問はと違い(とは言え学校の「お勉強」レベルに限った話で、自ら探求することが必須の「研究」レベルともなると…)計画していないことには対応できない――成長したように見えて、バンディの幼い頃からの本質は何も変わっていなかった。
裁判の再開までバンディは、コロラド州グレンウッドスプリングスの刑務所に収監された。
とはいえすでにアイドル化されていた彼の人気は大変大きく、再び脱獄を計画して絶食すると半年後、何者かによって糸ノコが差し入れられた(なんらかの方法で糸ノコを持ったまま入った、という説もある)。
それで天井に小さな穴を開け、痩せた体を利用して脱走。シカゴ、ミシガン、アトランタを経てフロリダに入った頃、持ち前の殺人衝動が抑えられなくなり、カイ・オメガ女子寮へ向かったのである。
カイ・オメガ寮(最後の犯行)
1978年1月。法廷と刑務所、二度にわたって脱走を果たしたバンディの手腕に、警察は驚き慌て、マスコミはもう「誰にも止められない」と騒ぎ立てていた。
演劇経験があり、口も達者なバンディは、加えて顔立ちもどこにでもいるような二枚目で髪の長短や髭の有無だけで別人に成りすます才能を持っている。
彼がかつてそうしていたように、再び月に一度の連続殺人が繰り返されるに違いない、あるいは罪を犯さず永久に警察の目から逃れ続けるのでは、と誰もが思っていた。
しかし当のバンディからは、かつてほどの計画性が失われていた。
監獄での禁欲生活はわずか半年程度に過ぎなかったが、それが彼の内にあった殺人衝動を抑えきれないほど高めてしまったのだろう。
若い女であれば相手は誰でもいい――ただ殺したい。その欲望がバンディをフロリダ州立大学のカイ・オメガ女子寮に向かわせていた。
深夜、棍棒を手に荒れ狂ったバンディは、女子寮で寝ていた女子大生を手あたり次第に殴り、性的暴行を加え、二人が死亡、二人が重傷を負った。
それでも黒い衝動はおさまりを知らず、寮から1ブロック離れた場所に住んでいた女子大生にも重症を負わせた。
さらに同年2月、レイクシティに移動したバンディは12歳の少女を誘拐して暴行殺人に及んだ。確認できている限り、彼女がバンディによる最後の犠牲者である。
その後まもなく、バンディは乗っていた車が盗難車だったことから再び逮捕された。
高い知性を取沙汰されたバンディにしては、あまりにもあっけない逮捕劇――とは言えず、前2度の逮捕の際も些細なミスが命取りとなっていた。
優れた才知の持ち主らしからぬ一面は、彼が幼い頃から抱えていた欠点であった。
裁判とその後
1979年からマイアミで始まったカイ・オメガ寮事件の裁判にあたって、驚くべきことにバンディは5人の国選弁護人を全て罷免し、学んだ法学知識を活かして自分で自分を弁護した。
しかし検証によって犠牲者の遺体に残された歯型と、バンディの歯型が一致した点は致命的だった。さらに抗弁の際に見せた気取った態度は、陪審員の神経を逆なでした。
結果、下った判決は死刑。宣告の際、裁判官はバンディの恵まれた才能を惜しむ言葉を残している。
バンディはあくまで冤罪、無罪を訴えて上訴し続けたが、全て棄却された。
FBIや警察と面談する機会も何度か設けられたが、自らの罪を認めることも、犯行内容を詳細に語ることも最後までしなかった。
このため、バンディが殺害した人数に関しては正確な数がわかっていない。立証できたのが36人だけで、おそらく犠牲者はもっと多かったものと考えられる。
「彼の性質からすると、10代から殺人を犯していた可能性もある」と推理する捜査官もいる。
獄中に入って以降もバンディの人気は続き、数百ものファンレターが届くほどであった。
死刑確定後もバンディは生き延びるために未解決事件の操作協力を申し出たり、執行直前にも「全てを話す。時間がかかるかもしれないけど」と言うなどしていた。この内、解決まで史上最大の未解決事件と言われたカリフォルニアの連続殺人事件のプロファイリングも行っている。その内容は後に捕まったゲイリー・リッジウェイの実像によく迫ったものだったが「30代の大人しい」どこにでもいる男が犯人で、「生存者がいるはずで、現場に戻る」という捜査の基本的なアドバイスでしかなく、バンディが引き延ばしを図っていたことは見え見えだったためろくに参考にされなかった。その上地元警察の怠慢で現場に張り込まなかったことでしばしば訪れていたリッジウェイを挙げられず、逮捕には実に20年近く時間を要した。
1989年1月24日死亡。電気椅子による処刑が執行された際には、1000人もの群衆が集って喝采し、花火もあがったと言われる。享年42歳。
死後の影響
バンディが残した影響は、冒頭にも記したシリアルキラーという通称の起因、全米殺人データベースの作成などである。
「バンディ法案」に関しては、バンディが「俺たちのようにメディアの暴力、とくにポルノ的な暴力に大きな影響を受ける者は、決してもともと怪物ではないことを理解すべきだ。俺たちはみんなの息子、夫なのかもしれない。ごく普通の家庭で育ったのだ」などと、テレビでポルノの危険性について語ったことに起因する。
また、トマス・ハリスの小説「羊たちの沈黙」に登場する殺人鬼ハンニバル・レクターとバッファロー・ビルのモデルになったともいわれる。
レクターのモデルは連続殺人犯ヘンリー・リー・ルーカスと言われるが、彼には学がなかったため同様の連続殺人鬼で知力も並外れていたバンディも取り込んだのではないか、というものである(ハリスは具体的なモデルを示していないため、あくまでファンの推理にすぎないが)。
実際、バンディは獄中で自らの存在価値を証明するため、1982年以降に起こった連続殺人犯「グリーン・リバー・キラー」の犯人像をプロファイルしたことがある。
バッファロー・ビルの性質的モデルはエド・ゲインであるが、獲物を狙うときの「怪我を装って女性の油断を誘う」という手口はどうやらバンディの影響らしい。
ビルにはこのほかにも、犠牲者の監禁方法においてゲイリー・ハイドニクの影響が見られる。