概要
人間は生まれてくるべきではないという考え方。エフィリズムとも呼ばれる。
出生自体が親のエゴイズムによるもので、生まれた側が望んだものではない。
生まれた側にはなし崩し的に生きる義務が生じ、そこには様々な困難や苦痛が伴う。
生まれながら貧しかったり病気の人は言わずもがな、たとえどんな有能で幸福な人物でも必ず死んでしまうし、病気や事故には勝てない。むしろ途中まで幸せだったのにいきなり不幸に遭えば、その苦しみはさらに増大される(いわゆる天人五衰)。
であれば、積極的に生命を誕生させるべきではない。
おおまかにはこのような思想であるが、人によって定義は異なる。
他には、性悪説に則り、人間は本質的に悪という前提で出生を否定する者もいる。親ガチャに外れたと感じる者が、自身の生まれを呪い反出生主義を唱えることもある。親や子の不幸ではなく、人口過剰問題や環境破壊問題解決のために出生を否定する者もいる。
科学によって人間の特別性や来世における救済の存在が否定され、一方で現実を天国にするという近代全体主義的な思想も否定された現代の、必然的終着点ともいえる。
ただし似たような発想は昔からもあり、グノーシス主義や仏教の一部、ペルシャの詩『ルバイヤート』にもみられる。
生必有死 死若不欲 不如不生(生まれたら必ず死が有る。もし死を望まないなら生まれないに越したことはない)―山上憶良『悲歎俗道仮合即離易去難留詩』(万葉集より) |
「二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は 心の痛みと命へのあきらめのみだ。生の息吹いぶきを知らない者が羨やましい。母から生まれなかった者こそ幸福だ!」―オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(小川亮作訳) |
20世紀の文豪芥川龍之介もこのようなことを書いている。
父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。(略)「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」―芥川龍之介『河童』 |
関連項目
エフィリン:名前の由来が「エフィリズム」