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大黒屋光太夫の編集履歴

2022-10-20 09:25:53 バージョン

大黒屋光太夫

だいこくやこうだゆう

大黒屋光太夫とは、江戸時代にロシアに漂着した人物である。

概要

1751年-1828年5月28日

江戸時代後期の船頭。


天明2年(1782年)、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島(当時はロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。

キリル・ラックスマンの助けによりロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで

女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国をゆるされる。

寛政4年(1792年)にアダム・ラックスマンに伴われ根室港入り。

漂流から約9年半ぶりに帰国した。


乗組員

伊勢を出港した当初は光太夫を含め16名。

漂流中の船上で1名、アムチトカ島で6名、カムチャツカ半島で3名、

イルクーツクで1名が死亡。

生存者のうち2名はロシアに帰化。

根室まで帰国3名のうち、1名は根室で死亡。

江戸に着いたのは船頭の光太夫と水主の磯吉だけだった。


創作物における大黒屋光太夫


風雲児たち

光太夫さんと磯吉くん。

大黒屋光太夫

船頭。意志の強い男。前髪と髭が特徴。


主な乗組員

幾八

水主。最初の犠牲者。船の上で死亡。


三五郎

船親父。乗組員最年長。

アムチトカ島で死亡。


与惣松

水主。壊血病のためカムチャツカで死亡。

亡くなった際に間違えておそ松くんが出た。


九右衛門

水主。年長者で頑固者。

ロシア語を一言も覚えぬまま

光太夫のペテルブルグ行きの前日に、死亡。


庄蔵

水主。イルクーツク到着後に、凍傷のため左脚を切断。

キリスト教に入信したため、帰国不可に。

日本語学校の教師となる。


新蔵

水主。リア充。八百屋の未亡人ニーナと恋仲になり、

熱病をきっかけにキリスト教の洗礼を受ける。

その後ニーナと結婚。

日本語学校の教師、後に校長となる。


小市

荷物担当。

根室到着後、壊血病のため死亡。


磯吉

水主。最年少で、出航当時は17歳。

三五郎の息子で、アムチトカ島で父を亡くす。

ロシア語を覚えるキーワードとなった

「エトチョワ(これは何?)」という言葉に気が付く。

光太夫の他に江戸に着いた唯一の生存者。


協力者

キリル・ラックスマン

ロシアの学者。


アダム・ラックスマン

キリル・ラックスマンの息子。


関連タグ

江戸時代

風雲児たち

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