「廃藩置県」は明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に。
内務卿大久保利通が大名が支配する265年間存在した藩を廃止し行政組織である
府県を設置する決定をくだし、行われた行政改革。
廃藩置県によって「藩」を廃止し、「府」と「県」に一元化し地方と中央政府が一体となった(統一国家化)した。
廃藩置県のながれ
廃藩置県が行われ、現在の都道府県のようになるまでには明治4年(1871年)~明治21年(1888年)までの17年ほどかかった。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県
各地にあった藩が廃止されて「県」になる。この時点での県の数は306県。
府県合併(1回目)
明治4年10月から11月にかけて府県合併が行われる。この合併で県の数は75県となる。
府県合併(2回目)
明治9年(1876年)4月と8月に2回目の府県合併が行われる。以後、明治21年(1888年)12月まで調整が行われて現在の47道府県となるが、その後も府県境界の変更、樺太編入などの変転があった。
※形式的に清の属国(册封国)の扱いだった沖縄の廃藩置県は他府県より遅れ、1879年に行われた。この年琉球藩が廃止され、沖縄県庁が設置された(琉球処分)。
※東京都ができたのは戦後の1943年(昭和18年)7月1日から。東京市と東京府が廃止され、合併するようなかたちで東京都が設置された。当時の地方行政組織は「庁府県」と呼ばれ、「1都2庁2府43県」(「庁」は北海道庁と樺太庁)が存在した。北海道庁が北海道となり、都道府県と呼ばれるようになったのは戦後のことである。