CV:小林薫
来歴
帝から勅命を受け、シシ神の首を狙う組織「唐傘連」のリーダー格。
物語構造上は悪役と呼べる存在だが、そう簡単に割り切れるものでもない。また後述するアシタカとの初接触時の対応を見ればわかる通り、本人の性格は「全くの見ず知らずの他人を特に理由がなくとも助ける」など(少なくとも利害関係の絡まない範囲では)どちらかと言えば明らかな善人である。
「世間知らずな青臭い若者」であるアシタカとサンの対極に位置する、エボシ御前・モロの君と並んで「世俗を知る成熟した大人」としての性格を与えられたキャラクターでもある。
初登場は分かりづらいが、とある集落での戦に巻き込まれ、乱妨取りをしている地侍達から逃げているシーン。その時、旅の途中で偶々集落を訪れたアシタカに偶然ながら助けられる。
その後、とある市場でトラブルに巻き込まれるアシタカを発見し再会。この時アシタカは買った米の代金を砂金で支払おうとしたのだが、店の主は砂金の価値がわからず「銭じゃなければ物は売れない」と言う。
封鎖的な集落で育ったこともあって、世間知らずで交渉事を苦手としているアシタカが困っているところ、的確に砂金の価値を見抜き場を納めたのが彼との数奇な関係の始まりである。
その後は流れでアシタカと同行することになり、その晩にはアシタカの買った米に手持ちの味噌を使い粥を作るなど料理上手なところを見せる(このシーンの粥は非常にシンプルな料理なのにやたらうまそうに見えると評判)。
なお、この際アシタカ以上にバクバク飯を食っているが、この時代では彼の提供した味噌の方が米より遥かに希少なので、(図々しいとか遠慮がないのは事実だとしても)ケチと非難するのは少々的外れである。
そして「そなたの米だ、どんどん食え」と事前に促す程度にはアシタカに遠慮をせず食べてよいことは断っている(その上でジコ坊の食べるペースが速いだけ)。
そして、アシタカからタタリ神による呪いとタタリ神に食い込んでいた礫について相談を受け、「シシ神の森近くのタタラ場に向かえば何かわかるかもしれない」とアドバイスを施している。
翌朝はアシタカが夜も明けきらないうちに自分を起こさないよう旅立っていくのを狸寝入りしながら見送り、彼との出会いは終わる。
このときアシタカはジコ坊に声こそ掛けなかったものの去り際には一礼しており、彼に相応の感謝と情を抱いていたことが分かり、ラストシーンのやり取りにおけるアシタカの頑なさにも繋がっていることが窺える。
そのままフェードアウトしたかに思われたが、中盤デイダラボッチの行動パターンを探っていたところで再登場し、しばらく後唐傘連を引き連れエボシ御前と合流、タタラ場で会談する。
そしてその場で彼の役割は「森を焼き払いシシ神の首を狩ること」であることが明かされる。つまり、シシ神に呪いを解いてもらうことを期待しているアシタカとは、立場上完全に敵対する存在となる。
その一方で、このときエボシ御前に対して「アカシシに乗った青年が来なかったか?」と尋ねており、彼個人の心情としては打算無しでアシタカを気に掛け続けていたことが分かる。
その後はエボシ御前によるシシ神狩りに同行し、その首を刈り取り首桶に入れることに成功するも、首を失い暴走したデイダラボッチにより部下である唐傘連や石火矢衆、地走りの大半を失う。
何とか無事だった部下のうち唐傘連2人と石火矢衆1人とともに首桶を乗せた輿を担ぎ(この時「担ぎ手がやられた」と言っていることから本来の運搬担当も巻き込まれたと思われ、駆け付けたときに担いでいた石火矢衆1人もデイダラボッチに飲まれてしまった)、必死にシシ神の森を抜けるも、タタラ場の開発で荒廃した山中を登っていくところをアシタカとサンに見つかる。
アシタカの無事に安堵するも、首を神に返却せんとする彼の説得に耳を貸すことはなく生き残った部下共々抵抗するが、最終的に揃ってドロドロに囲まれてしまい遂に観念。首桶の蓋を開け、アシタカとサンがデイダラボッチに首を返すところを見届けた。
そしてラストシーンではシシ神の力で芽吹いた森を見て、「いやあ、まいった、まいった。バカには勝てん」と笑いながら言い放ち、最後の最後まで飄々としたその態度を崩さなかった。
人物
一件チビで剽軽な顔立ちをした小太りの老人だが、呪いの力でブーストしているアシタカと対等に渡り合うなど作中に登場する人間キャラの中ではほぼ最強クラスの身体能力を誇る。
特に脚力とバランス感覚はすさまじく、高歯の下駄と言う大変動きにくそうな履物で未整備の岩場を軽々駆け回るばかりか、流れの激しい渓谷でもよりしっかりした足元の地走り達を置いて的確に岩の上をピョンピョンと跳ね回り、あまつさえ馬のような生き物であるヤックルと並走するほど。前述のように一晩中デイダラボッチの執拗な追跡を回避するなどスタミナと隠密能力にも長けている。
また彼自身は使用しなかったが、唐傘連の面々が抱えている唐傘は実は暗器であり、毒矢を仕込んだ吹矢になっている。
たびたび腹黒い側面が垣間見え、協力者であるエボシのことも「単なる捨て駒」程度にしか見ていない節がある(もっとも、エボシの方もジコ坊と唐傘連を心底信用していない面があり、この辺りは騙し合いなのだろう)。
目的のためなら手段は選ばず、上記の通り親しく飯を食い、最後まで互いに好感を抱いていたアシタカ相手に攻撃するのも辞さない。
しかし、彼本人は帝の命令に忠実に従っているだけであり、要は完全な中間管理職なのだが、作中の諸トラブルの根源となった人物なので、物語上は間違いなく「悪」である。
最後にシシ神の首を返したのも徹底的に追い詰められて観念しただけであり、自分の行いを反省したわけではない。
ただ、その根元を探ると結局は都の帝にたどり着くし、ジコ坊本人にそこまでの権力があったわけではない。人によってはアシタカを含蓄ある言葉で導く粥のシーンや、首桶を抱えてゴロゴロしているコミカルなシーンの方が印象に残ることもあるだろう。
見る人の着目点によってその印象が大きく変わるキャラの一人かもしれない。
映画公開の際のインタビューにて、宮崎駿はジコ坊らを日本人そのものと表現していた。
名前は(原作者の別荘がある)長野県諏訪辺りの「キノコ」の一種の方言(ハナイグチでいい筈。『もののけ姫はこうして生まれた』では「美味しいキノコ」と紹介されている)。
貴族説
帝から勅許を貰える立場であり、貴族がシシ神の首を欲していたこと、米以上の高級品である味噌や上等の調理器具などを持っていたこと、砂金の価値を知っていたこと、隠密に長けた僧兵でありコネや資金源に困らないジコ坊は、貴族出身の可能性がある。
一方で「やんごとなき御方の考えることなど分からん。いや、分からん方が良い」という発言もあり、貴族階級以上の権力者の立場の人間がもつ「心の闇」を見透かし、諦観しているようなフシも見られる。
余談
アシタカと野営をする場面は、シュナの旅の同様のシーンがモデルともされる(シュナのCVもアシタカ、アスベルと同じ松田洋治)。