「会いに行くよ、ヤックルに乗って」
CV
概要
大和朝廷との戦いに破れ、北の地に隠れ住む蝦夷の数少ない若者であり、次代の一族の長となるべくして育てられた少年。
年齢は17歳。
冷静沈着で正義感が強く潔いが、それ故に一人で苦悩することが多い。王家の血筋を引いているため立ち振る舞いには気品がある。
相棒はアカシシのヤックル。アシタカとの絆は非常に強く、また、ヤックルも勇敢で聡明であるため、アシタカが生死の境を彷徨っても、非常に緊迫感のあるシシ神との対面を果たしても、果てにはヤックル自身が侍の矢で傷ついても、決してアシタカを見捨てたり逃げ去ることもなく付き従った。
集落の近辺に突如として現れたタタリ神から村を守るために矢を放ち、右腕に死の呪いを受けてしまう。
掟に従い髷を切り、村と決別した為、再び村へ戻ることができない身となった(髷を切る行為は、人間ではなくなることを意味している)。
村の巫女であるヒイさまのお告げで西へ旅立ったアシタカを待ち受けていたのは、現在の中国地方にあたる森に古くから住まう神々と、入植しようとする人間たちとの壮絶な戦いであり、アシタカはその渦中で自分が呪われた原因を知ることになる…
能力
元々、弓の名手で高い身体能力の持ち主だったが、呪いを受けてからは右腕の呪いの痣がアシタカ自身の殺意や憎悪に呼応して、彼の命を蝕むのと引き換えに超人的な膂力を得るようになる。
その力はタタラ場の大人が10人がかりでハンドルを使って上げる城門を、石火矢で重傷を負った身ながら、(足元が自身の血で滑りやすくなっているにもかかわらず)片腕の素手で持ち上げるほど。弓矢を放てば、直撃した野伏の頭部を兜ごと吹き飛ばし、武器だけに狙い当ててもそれを持つ敵の両腕をも千切り飛ばすほどの凄まじい威力を発揮する。単純な膂力と言うより、超常的な力の働きなのかもしれない。
序盤ではその力に翻弄されていたが、中盤ではなんとかコントロールできるようになり、終盤では(アシタカの死への覚悟が決まっていたためか、またはナゴの守がアシタカの自然への想いを見て同調していたためか)ある程度使いこなしていた。それでも、呪いの力を使う度に命が蝕まれていることに変わりはないが。
一見すると、右腕を切り落とせば済む話にも見えるが、外科医学の知識に乏しい戦国時代に四肢の一部を失うというのは(感染症の可能性もあるなど)大変危険なことである。また、この時代には当然ながら義手もなく、障害者への社会的な理解も少なく、当然仕事もできないので「ごく潰し」と見られる。隻腕になることは、実質的な「死」を意味していたと言えるのだ。
劇中でもアシタカが、とある戦場と化した里を抜ける際に、野武士達との交戦の末、一人の野武士の両腕をもぎ取る重症を負わせ、もう一人の首も刎ね飛ばすが、後にジコ坊との会話の中で、里での出来事に触れた際に「2人も殺めてしまった…」と悔恨するなど、首を刎ねた野武士は勿論の事、明確な死亡画面が描かれていなかった両腕を失った野武士のことも必然的に死者として扱っている描写がある。
また、単純に切り落として済む程度の呪いではない可能性が非常に高く、生きる道を模索するために旅立つのは避けられなかったと言えるだろう。アシタカが追放処分とされたのは、実際には彼を生き永らえさせるための建前であった部分も大きいのではないだろうか。
その他
女性受けが良く、タタラ場の女性達から「いい男」と黄色い歓声を送られるシーンが幾度も登場する。おトキからは一目で「いい男」と評されるほど端整な顔立ちをしている。
サンやタタラ場の女性達との交流を見るに、おそらく自覚のない天然プレイボーイと思われる。もっとも、快活で温厚な男であるので、男衆とも食事を共にし、仲間を救われた石火矢衆も恩義から対立を避けたがるなど、男女や身分を問わない人望はあった。
- こうした性質は古代神話の英雄によくあるもので、日本神話でも日本武尊や大国主命はこの性質を顕著にしている。
- タタラ場には子供がいないのは、「これから子供ができてくる時期」にあるとされており、そんな中で唯一「子供」であるアシタカが「旦那」や「様」付けで扱われているのも特徴的である。
- ちなみに、村ではカヤという許嫁がいた。彼女からは大層慕われていたようだが、アシタカが彼女をどう思っていたのかは作中では描かれていない。
人物像
アシタカはそれまでのジブリ作品の主人公と異なり、守るべきものや居場所が無く、不条理な運命の中で祝福されずに生きる絶望感と閉塞感を纏った「現代の若者」像を反映させたキャラクターとして宮崎駿監督は作っている。
そんな主人公が「守るもの」や「居場所」を見つけ、そこで生きていくことを決めるわけだが、必ずしもそこが楽園というわけでは無く、両陣営に板挟みにあいながら、引き裂かれるのを覚悟で生きていく。
『もののけ姫』のテーマは、アシタカの境遇や生き方に集約されていると考える。
逸話
- 宮崎駿は「究極のイケメンを作り上げる」として作画に臨んだらしく、制作当時に「オレはいま一世一代の美形を描いてるんだ!!」という言葉を残している。
- 一方で、松田洋治による声を収録して合わせて見てみる段階になると、「こんなに根暗だったんだなぁ」「いいのかな、こんなに根暗な主人公で」と苦笑混じりな感想を零している。
- 不本意とはいえ「神殺し」を行ったアシタカヒコは、それ以降「アシタカ」とだけ名乗るようになる。これは、「ヒコ(彦、日子)」という神性を剥奪されたことを意味するようだ。
- 宮崎駿は、エミシ(蝦夷)を「大和政権とその支配下に入った稲作農耕民から追われて本州北部の山中に隠れ住んだ、焼畑・狩猟・採集・工芸を生業とする原日本人の残党」と解釈しており、アシタカをアテルイの末裔としている。
- タタリ神の姿は土蜘蛛の隠喩であるともされ、アシタカ達「土蜘蛛」の村を襲ったことも隠喩であるとされる。ヒイ様は「掟」と称したが、大和民族や朝廷への恨みは村全体に残っており、タタリを受けたアシタカを西方に向かわせたのは、その呪いを利用して大和民族への復讐するためだったという説もある。
- 関連性は不明だが、「愛鷹(あしたか)」という地名がある。
- アシタカが西へ旅立つ一連の場面で流れる風景と音楽(『旅立ち-西へ-』)には、呪いを受け、村を追い出されたアシタカを不変の自然だけは祝福してあげたいという制作者達の思いが込められている。
- 宮崎監督は本作の制作途中に「これはアシタカの物語だ。」と思い至り、タイトルを『アシタカせっ記』に変更しようと鈴木プロデューサーに提案したが、プロデューサーは(「“の”の法則」もあり)『もののけ姫』の方がタイトルとして優れていると考え、特報第一段発表の際に監督に内緒でタイトルを『もののけ姫』のまま発表した。
- サン救出の為にアシタカが森の中を全力疾走する場面を担当した原画マンの原画を監督が全て描き直している。監督曰く「アシタカは障害物が来た時に逃げ腰になるひ弱な人間じゃない」
- 監督の描いた原画では、アシタカは腕をクロスしながら前のめりに走っている。
余談
- 療養期間
- アシタカがシシ神に石火矢の傷を治癒されてからサンに看病されていた日数は厳密には不明だが、タタラ場で負傷した夜に浮かんでいた満月が、アシタカが出歩けるようになる頃には新月を過ぎて上弦の三日月になっていること、アシタカ自身の「体が鈍った」という発言から、寝たきりで多少筋力が衰える程度には昏睡状態にあったと思わしい(参照)。その間、看病だけでなく、下の世話なども甲斐甲斐しく行っていたであろうサンの尽力は、シシ神の選択に敬意を払った結果としても相当なものであり、憎いはずの人間の世話のために岩屋を汚されることをモロの君は了承していた。
- さらには、ただでさえ食料の調達などに支障が出るだけでなく、戦争のために余裕がない中で貴重な労力と時間を敵であるはずの人間に割かれていたのも事実であり、「お前が少しでもうめき声を上げれば噛み殺してやった」というモロの発言も、嫌味や当てつけにも聞こえる一方で、「サンとモロたちへの感謝を忘れるな」と強調しているとも言える。
出典
- 「もののけ姫」はこうして生まれた。(DVD、書籍)
- もののけ姫 (スタジオジブリ絵コンテ全集11)
- 風の帰る場所 - ナウシカから千尋までの軌跡
- もののけ姫 - 公式パンフレット
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