武市瑞山(Fate)
たけちずいざん
真名
土佐出身の幕末志士、『武市半平太』。瑞山は号。
安政の大獄により幕府に対する不信感を憶え、桂小五郎や高杉晋作といった他藩の尊王攘夷派と交流し、土佐勤王党を結成した人物。多くの人物に高く評価されており、剣術や芸術の面でも優れていた天才肌の人物だったとされている。
文久二年の政変で尊王攘夷派が失脚した後は投獄され、「主君に対する不敬行為」という罪状で主君・山内容堂から切腹を命じられる。そして三文字に腹を掻き切ってこの世を去った。優秀だったことに加えて誠実な人柄をしていたこともあり、彼の死は日本にとって大きな損失とされ存命していたら西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通の「維新三傑」を差し置いて日本の首班たりえたとされる人物だった。木戸は容堂と仲が良かったがそれでも武市の件では「なぜ半平太を斬った」と詰め寄ったほどであったという。
容堂もまた後々まで武市を殺したことを悔やみ続け、死ぬ間際まで「半平太、ゆるせ、ゆるせ」とうわごとをうめき続けたらしい。
当時の政敵だった後藤象二郎と板垣退助は「武市半平太を殺したのは、我々の誤りだった。」と武市の妻に直接謝罪に訪れるなど、誰からも死んだこと、死に追いやったことを悔やまれ、惜しまれていた人物であった。
酒豪の多い土佐人にしては珍しくアルコールに弱い体質だった反面、甘いもの好きだったという逸話が残されている。
一方で吉田東洋を始め数々の暗殺事件に関わり後述の田中新兵衛や岡田以蔵を手駒にしていたが、これについては縁戚でもある坂本龍馬も忠告しており結果的に処断される一因になった。
人物
一人称は「私(わたし)」。
自身の家紋が入った黒いスーツに身を包んでおり、整った髪型をしている中年男性。
落ち着いた性格であり同士思いな一面がある。しかし以蔵にはきつくあたるなど、同志扱いしていない者には冷酷な一面を見せる。
ただ生前に田中新兵衛を事実上の捨て駒として切った事に対して、「悪いのは私だ、全てが想いのままだと自惚れていた」と発言しており、心の弱さから自己評価はわりと低め。一方で以蔵の言葉で吹っ切れた際には悪ガキの様な笑みを浮かべ、龍馬が考えた逆転の策を確実なものとするべく力を発揮している。
関連人物
生前
生前における剣術の弟子かつ土佐勤王党加盟者の一人であり、彼からは武市先生と慕われている。
しかし己の才に驕り自身の忠告も軽んじる態度から、次第に愛想を尽かし単なる駒として見るようになっていった、らしいが……
かつて交流していた同志の一人。流血開城事件で武市と共にサーヴァントとして召喚され、敵対することになる。
生前の頃から義兄弟の関係を築いており、今回の昭和勤王党でも行動を共にする。
「この程度で騒ぐな、まだ一太刀だぞ。田中君なら眉ひとつ動かさん。」というセリフから彼への並大抵ならぬ信頼が窺えるが、田中君に無茶振りしたい時や、未実装キャラばかりで辛抱ならなくなったマスターをたしなめる際の構文としてファンに定着しつつある。
関連タグ
この先、ネタバレ注意!
龍馬(に取り憑いた天逆神)の裏切りにより、操られた田中新兵衛の一撃を受け窮地に陥ったものの、カルデア陣営によって助けられ、以後は同じくカルデアを裏切った高杉の「キ神計画」を阻止すべく、龍馬が発案した「維新都市SAITAMAの各ブロックにある魔力炉6基全てを強奪、これを利用しキ神を弱体化させた上で総攻撃、これを破壊する」計画を実行に移す。そして計画は成功、キ神ことアラハバキはその機能を停止した。
が、取り込まれた天逆神は消滅しておらず、あろうことか武市に乗り移ってしまう。しかし、彼はそれすら読んでいた。
天逆神は心の弱さに棲み着く魔。であれば、取り憑く先は必然的に心の弱い者。ならば、天逆神が次に取り憑くのは、この中で最も心の弱い自分である。これが分かっていた武市は、出雲阿国の協力の下、自らの体に印を刻み、天逆神を封じ込めた。そして、自ら腹を切って果てることで、天逆神を道連れにしたのである。
まんまと策に嵌まった天逆神は、切腹の激痛に泣き叫びながら、武市が力尽きるより早く消滅することとなった。
全てが終わり、自身が退去するまでの僅かな時間で、彼は共に新たな日本を夢見た郷里の友に、想いを託す。
以蔵のことは誰よりも自分が分かっている。お前が優しい男だと言うことを。だから、拷問に折れたのは上士に自分たちを助けると騙されたからだと理解している。そして、本当は護る剣だった以蔵の剣を殺す剣にしてしまったことを許して欲しい。今度こそ、人を護るために剣を使え。
龍馬、この国を……カルデアのマスターを助けてやってくれ。
そして、武市瑞山は、維新都市を去って行った。
ふたたびと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり
余談
作中彼は三度腹を切っているが、実はこれは史実においても同じ。「三文字割腹の法」「三文字の切腹」などと呼ばれるれっきととした切腹の形のひとつではあるが、一度腹を切るだけでもかなりの苦痛と覚悟を求められるものであり、これを三度もやってのけた武市の精神力は(彼自身は「この中では一番弱い」と言っているが)並みのものではないことは容易に想像がつくだろう。実際、この三文字の切腹は、武市以前には誰もなしえなかったとさえ言われている。なお完全な余談だが、辞世の句についても史実と共通。
ちなみに天逆神に取り憑かれながら腹を切った際、痛みに苦しむ天逆神に対してのセリフ
「この程度で騒ぐな、まだ一太刀だぞ。田中くんなら眉一つ動かさん」→「まだまだぁっ!」は前例の山南構文にならって武市構文と呼ばれ、どんな無茶苦茶なことをさせられても眉一つ動かさない事にされる田中親兵衛とそれに倣ってどんな無茶苦茶な事もやり遂げる武市という構図で様々な改編がされている
全てを終わらせて美味しいところだけ持っていこうとする山南構文と、どんな理不尽なことも眉一つ動かさない事にされる田中くん、武市もそれに倣い絶対に諦めずやり続ける武市で対になっており、なんとか辞めさせようと説得する山南に対して、田中くんを引き合いに出しやり続ける武市という形で両者織り交ぜて使われる事もある。
使用例
「この程度で騒ぐな、まだ8月30日だぞ。田中くんなら31日の夕方まで日記一つ書かん」→「まだまだぁっ!(9月1日)」
「もうやめましょう武市さん、やはり私たちの財力で〇〇を宝具マにしようだなんて無理な話だったんだ」→「この程度で騒ぐな、まだ10万だぞ。田中くんなら眉ひとつ動かさん」→「まだまだぁっ!(追課金5万)」