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西園寺公宗の編集履歴

2023-01-07 00:52:41 バージョン

西園寺公宗

さいおんじきんむね

西園寺公宗とは、南北朝時代初期に活躍した公卿である。

概要

生没年 延慶3年(1310年]~建武2年8月2日(1335年8月30日)


代々、西園寺家は朝廷と鎌倉幕府との連絡・意見調整を司る関東申次(かんとうもうしつぎ)の職を世襲継承していたが、元弘3年/正慶2年(1333年)に幕府が滅亡したことにより廃止、

幕府寄りの人物として知られた公宗は職務の復活と、後醍醐天皇による「建武の新政」の失敗に対する不満もあったことから、第14代執権北条高時の弟・泰家を自邸にかくまい、鎌倉幕府残党とも連絡を取った。

建武元年(1334年)泰家と公宗らは、後醍醐天皇を公宗の別荘に招いて暗殺し、新政を覆す計画を立てたが、公宗の異母弟・公重の密告により発覚、

反後醍醐帝派は逃亡した泰家を除いて、楠木正成高師直が統べる武者所に逮捕され、公宗は出雲国に流される途中、名和長年により処刑された。

関連タグ

南北朝時代 後醍醐天皇 北条泰家

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