浦沢直樹による漫画作品。1993年から1999年にかけて『ビッグコミックスピリッツ』に連載された。コミックスは全23巻、完全版は全15巻。
概要
編集部よりもう一度スポーツ漫画を描いて欲しいという依頼を受けて描いた作品。前作のYAWARA!より、金を稼ぐプロスポーツという大人をターゲットにした作品となっており、アニメ化はされなかったが、連載終了から数年後にテレビドラマ化がされた。2006年4月7日にTBS系列でスペシャルドラマとして放送された後、2006年12月26日に『Happy!2』が放送されるなどした。
あらすじ
高校3年生・海野幸(うみのみゆき)は、中学校のときに両親と死別し、幼い弟妹の世話をする苦学生。ある日、事業に失敗したうえに蒸発した兄・海野家康の借金2億5000万円を背負うことになってしまう。それで借金返済の手立てとして連れてこられた斡旋先は特殊浴場の風俗嬢であった。
彼女はそれだけは嫌だと涙ながらに逃走するが、途方に暮れていた矢先プロテニス大会の賞金の多さを知り、一度は手放したラケットを握って、プロテニスプレイヤーになることを決意する。がが、日本プロテニス界の有力者にして鳳財閥会長の鳳唄子からテニス界からの永久追放を通告されてしまう。幸の父・海野洋平太は鳳唄子のテニスのコーチだったが、唄子が洋平太に失恋したことで(唄子が告白しようとした日に洋平太が別の女性との婚約を告げた)、海野家を半ば逆恨み状態で、敵視していたのであった。
しかし、唄子のかつてのライバルにして、ともに財界を牛耳っていた竜ヶ崎花江の娘・蝶子がテニス界のヒロインとして注目されたため、それに対抗する形で幸をテニスプレイヤーとして仕立てることになる。こうして幸は、片想いの相手だった鳳の御曹司、圭一郎と、取り立て屋だったが、彼女の素性を知って徐々に味方することになった桜田という二人の男に見守られながらプロテニスプレイヤーとして活動していくことになるが、幸を排除しようとする蝶子の裏工作によって世間のバッシングにも晒されることにもなる。
主要登場人物
海野幸(うみのみゆき)
演:相武紗季
主人公。兄の借金を返済するためにプロテニスをすることになる。真っ直ぐな性格なゆえに、無意識で敵を作ってしまうことが多く、そこを蝶子に付け込まれて、終盤まで世間からバッシングやブーイングを受けながらテニスを続けていくことになる。かなりのお人好しで前向きな思考のため、蝶子の嫌がらせを受けてもそれに気づかないことが多く、最後まで蝶子をいい人だと思っていた。中学時代から鳳に片想いしており、相思相愛の関係でもあるのだが、周囲の妨害や自身の心の揺らぎを生むことにもなる。
テニスに対しては、ライジングショットを得意とする攻撃タイプ。また、土壇場に追い込まれれば追い込まれるほど集中力を高め、ボールが見えてくるようになるタイプで、動体視力も抜群に優れている。また、脚力もサッカー経験者だった桜田を軽々追い抜くほど速い。
父親は元四大大会制覇に最も近い男といわれる人物だったが、鳳唄子の私怨によってテニス界を永久追放。しかし、テニスへの情熱は捨てておらず、娘をマンツーマンで鍛え、必死に働いて名門テニス部の私立中学も通わせていた。鳳とはその頃に出会っており、素質を開花しジュニア大会で優勝、しかしその家族パーティーで悲劇が訪れたため、一時は、自分のテニスは他人を不幸にするとばかりテニスを嫌っていた。
鳳圭一郎(おおとりけいいちろう)
鳳財閥の御曹司。幸の中学時代の先輩であり、今でも幸を気にかけている(幸も彼に憧れている部分がある)。イケメンで真面目な性格だが、典型的なお坊ちゃまで唄子に頭が上がらない。最初は頼りないお坊ちゃんだったが、次第にたくましくなっていき、自立心を培っていく。大学テニスチャンピオンになるほど資質はあったが、プロにはなれないと実母や世界的コーチからも烙印を捺されてしまい、新たな自分の生き方を模索することになる。
桜田純二(さくらだじゅんじ)
演:宮迫博之
高利貸し「ビッグバンファイナンス」営業主任。しかし、上司からは鈍ニ(どんじ)とあだ名をつけられていた。借金返済のためにテニスを始めた幸を次第に応援するようになる。高校時代はサッカー少年でプロになることも夢見ていたが、決勝戦で必死に飛び込んだディフェンスのプレイが皮肉にもオウンゴールを招き、それ以来サッカー選手人生を挫折し、高利貸し業者に拾われるとともに、社会に対しドライな見方をするようになっていた。仕事の絡みで幸を風俗店に連れ出そうとした張本人だが、幸の実直さに惚れていくとともに、彼女が想いを寄せる鳳との間で心が大きく揺らいでいく。彼も父親は幼い頃に死別、母親は寝たきりと暗い過去を背負っているが、それをあまり表に出さないでいた。
鳳唄子(おおとりうたこ)
演:片平なぎさ
鳳財閥会長。圭一郎の母親。若い頃は日本女子テニス界の先駆けともいえる天才テニスプレイヤーで、幸の父・海野洋平太は唄子のコーチだった。しかし、洋平太に失恋したことで(唄子がラブレターを渡そうとした日に、洋平太から別の女性と婚約したと告げられた)、海野家を毛嫌いして、テニス界から追放してきた。プライドが高く完璧主義。現役を退いたが、テニスを見る目は確かで、幸と同じく優れた動体視力を持つ。竜ヶ崎花江とは長年のライバルであり、その娘・蝶子に対する当て馬として幸をテニスプレイヤーとしてあてがう。
竜ヶ崎蝶子(りゅうがさきちょうこ)
演:小林麻央
竜ヶ崎財閥の令嬢。全日本ジュニア選手権を制し、ルックス、実力を兼ね備えたテニス界のアイドル的存在。愛らしい性格で絶大な人気を持つが、本性は狡猾な策謀家。圭一郎に恋している。そのため幸を排除すべく陰険悪質な策略をしかけて、幸の評判を徹底的に貶めるなど、前作の本阿弥さやかと加賀邦子の嫌な部分だけを全てかけ合わせたような腐れ外道。全仏オープンでニコリッチに敗れてから、だんだん享楽的思考が変わっていくが、根本的な性質は最後まで相変わらずであった。
竜ヶ崎花江(りゅうがさきはなえ)
竜ヶ崎財閥の会長。蝶子の母親。鳳唄子とはかつて日本女子テニス界を二分したライバルであり、テニスプレイヤー引退後も財界で熾烈な争いを繰り広げている。ドラマ版では原作以上に挑発的かつ策略家であり、唄子を挑発したり、蝶子の演技(幸が酷いプレーをしたかのようにわざと倒れたりした)にも「あの子も演技がうまなって…」とほくそ笑んでいた。
賀来菊子(かくきくこ)
演:夏川純
鳳テニスクラブ会員で代表テニスプレイヤー。幸の数少ない理解者で、プロテニスプレイヤーを決意しようとした幸が最初に戦った相手。幸の悪評や不幸の大半が蝶子による嫌がらせだと知り、幸の潔白を証明すべく蝶子に詰め寄るが、逆に罠にはめられて窮地に陥る。その後は無期限追放に遭うが、テニススクールのコーチやテニスショップ店員などをこなしながらも、陰で幸を支えていた。蝶子や周囲からは同性愛者と告げられていたが、劇中でも、それに対しては明確な回答をぼかしている。ただ、幸に対しては恋愛対象とかでなく、もう一度戦いたい好敵手という意識に変わっている。
鰐淵京平(わにぶちきょうへい)
桜田の親会社の社長で、血も涙もないような冷酷な男であり、海野に借金返済を迫った張本人。逆らったものは遠慮なく拷問をかける。劇中で幸に惚れ込み、何度か彼女に迫ろうとする。幸の兄の居所を把握しており、生殺与奪の権も握っていたため、幸は何度も翻弄されるようになる。
サンダー牛山
演:笑福亭鶴瓶
アメリカロサンゼルス出身の日系人。鳳唄子の依頼を受けて幸のコーチになる。怪しげな人物だがコーチとしては超一流。将来的な成長を期して選手を育てることがモットーだったが、試合にはこだわらなかった(時にはわざと負けることも指示していた)ことで、契約選手と齟齬が生じていた。八百長疑惑や教え子へのセクハラなどの疑義をかけられ、テニス界を追放されていた(尤も、これは本人の故意ではない)。本人も当初は、彼女を食い物(賭博興行の当て馬)にするつもりだったが、鳳の推薦で幸のコーチをしていくうちに、その才能に魅入られていき、彼女と強い信頼関係を築いていくようになる。女性に興味を持っているのは肉体(アスリートのボディ)であり、実は同棲相手が男性だったりする。
アーリー・キャリントン
アメリカロサンゼルス出身。サンダーとは小学生のときに知り合った旧知の仲。サンダーからは理由あってウンコたれと呼ばれてしまい、以後もお互いの意見の相違から仲違いを繰り返していた。サンダーとは対照的に、徹底した管理主義で勝利にこだわり、そして自分の地位名声が上げてテニス協会会長になることを目論んでいたが、選手にとってはそれを窮屈に感じていたことを後で思い知ることになる。
サブリナ・ニコリッチ
東欧出身の世界的プレイヤー。淡々としたクールな性格。昔は貧しかったため、初心を忘れないためでも、今も質素な暮らしをしている。幸が清水の舞台から飛び降りるつもりで買おうとしたセール品のカーディガンを先に買われてしまったことも、彼女にライバル意識を持つようになったきっかけ。家庭環境は壮絶であり、父親は賭博容疑で収監、兄は薬物中毒となっていた。それが原因で引退するのではと囁かれていたが、彼女の引退の意図は別の部分にあった。
ウェンディ・パーマー
全米ナンバーワンコーチ、アーリー・キャリントンの目にかけられていた期待の星。正確無比で、安定したストロークを売りとするが、徹底した管理教育によって築き上げられたもので、本人は決してテニスのプレー自体を楽しんでいなかった。
弁天橋雛
弁天橋財閥の令嬢。圭一郎と見合いをする。最初は蝶子の策略もあって、幸のことをよく思っていなかったが、後に幸の優しい人柄に触れて考えを改める。
海野家康
演:荒川良々
幸の兄。夢見がちな性格で、途轍もない借金を作ったまま姿を消した。いわゆる物語の元凶。不慮の事故(素人によるフグ調理)で父母を死なせてしまったことを負い目に思っており、色々なインチキ事業に手を染めて、借金だけを雪だるま式に増やしていたが、決して懲りない性格。
余談
テニス版YAWARA!と思えるほど、外見や雰囲気が似ているキャラが多く登場する。これについては作者曰く、前作の『YAWARA!』に対し、本当に浦沢が描きたかった作品と位置づけている部分があるためだが、前作と本作には色々と決定的な相違点がある。
題材のスポーツ:YAWARA!では一般的に女子への受けが悪く、女子スポーツとしては発展途上だった柔道(これは『帯をギュッとね!』『柔道部物語』でも触れている部分がある)に対し、Happy!では一般的に女子への受けが良いが、逆にいえば当時においても、最もプロスポーツ界隈が爛熟していた狭き門のテニスを扱っている。また、試合の描写はフィクション的な要素が強かったYAWARA!よりずっと本格的であり、試合の展開だけでなくフィジカルや身体の怪我、メンタル、トレーニングの部分にも触れたりもしているほか、試合での対戦無敗だった柔に対し、幸は何度か試合で負けており、悔し涙も流している。
主人公の環境:猪熊家は世田谷区北下沢の一等地に構える邸宅(ただし父親が失踪、母親はその父親を日々捜索など家庭関係は海野家より複雑)なのに対し、海野家は、幸が中学ぐらいまではテニス部強豪の名門私中に入れられるほど、暮らしぶりはまだマシだった(それでも周囲からは貧乏人と言われ、中学では差別を受けていた)が、両親を不慮の事故(フグ中毒)で失ってからは住家を売却し、中学を退学、公立高校に進学、弟妹三人と貧しい木造アパート暮らし(ただし、姉弟とも仲は良い)で、幸はプロテニスプレイヤーになるために、高校も三年で自主退学、内定企業も蹴っている。
ヒロイン:YAWARA!の猪熊柔はどちらかというとセンシティブな性格であり、それゆえ劇中で心の情景、内面がよく掘り下げられていた。対するHappy!の海野幸は不遇な家庭、社会環境からか世間や周囲からも鈍感であり、内面はそこまで作品に掘り下げられていない。また、蛇足的な情報だが、幸の方がプロポーションは良い(風俗業にスカウトされるぐらいなので。劇中にはスリーサイズも書かれている)。また、オシャレに敏感で、ファッショナブルな料理を好んでいた柔に対し、幸はコロッケパンやにんにくたっぷりのラーメン、納豆、酢こんぶを好むなど嗜好が庶民的で、柔よりはっちゃけたリアクションも多い。
お互い三歳からスポーツに打ち込んでいたという点は共通するが、柔はどちらかというと祖父にやらされていた、自分のためより周りに影響されて柔道を続けていた、対する幸は家庭事情でやめざるを得なかった、しかしテニスは自分のためにテニスをやって自分から競技の楽しさを見つけている違いもある。
熱血漢:松田はボロアパート暮らしでゴミまみれととことん生活能力が低いのに対し、物事をあまり掛け値で見ないタイプ、そして柔に対しては出会ったときから惚れ込んでいた。対する桜田は金融業の営業マン故に羽振りはまだ良い方(中古車のトレノ86に乗っていた)で、部屋も整理整頓しているなど生活能力もそこそこ高い(料理は松田と同じぐらい苦手らしい)。物事に対しては、割と打算的な部分がある。幸に対しては徐々に惚れ込んでいくが、鳳との関係も把握しているため、鳳の味方になることも少なくない。また、松田より血の気が荒く喧嘩慣れしており、サシの勝負だとかなり強い。
御曹司:風祭が口先がうまい女たらしなのに対し、鳳は女性関係はウブで、人が良い。その半面、風祭と違い世間には相当疎く頼りないところがある(風祭は御曹司の割に世間に明るい)。また、お互い反目しあっていた松田と風祭に対し、桜田とはお互い認め合っている部分もある。お互い、あがり症で土壇場の場面で弱いという共通点もある。
お嬢様:さやかが、根は泥臭いこともいとわないスポ根少女なのに対し、蝶子は練習嫌いの遊び好きで、いわば才能だけで勝っていくタイプ(また、竜ヶ崎家は鳳唄子曰く成り上がり)。また、卑怯なことは嫌いフェアプレーに徹していたさやかに対し、蝶子は自分のためなら、卑劣な手段も享楽にしか考えていない、徹底されたヒールでもある。
恋愛関係:ネタバレになってしまうので多くは語らないが、YAWARA!とはまるで模様が異なっている。ただし、幸の心が最終的にどっちにあったのかについては読者が想像する余地が残されている。
完全版に記載された作者のあとがきによると
作者は当初、団体戦を主眼としてバレーボールを題材に描こうとしたが、着地点が同じ五輪になっては前作と差別化を見出せないということで、お金を稼ぐプロスポーツ、そしてウィンブルドンを最高峰とするテニスを描こうとしたとある。また、観客から歓声が飛び交った猪熊柔に対し、ブーイングを浴びせられるヒロインという構図も意図的な設定であった。
そのため、記録的ヒットを続けた他作品に比べ、愛情を持って描いた割に人気もそこまで上がらず作者曰く地味なままで終わった。しかし、完全版刊行を機に、自分で読み返してみれば逆境に負けないヒロインのサクセスストーリーも悪くないのではないか、むしろ今のご時世こそこういう作品が求められるのではないかという思いを抱くようになり、満を持して刊行を決意したという。連載後に再評価されていった作品でもあり、完全版を含めた累計発行部数は1800万部に上っている。
また、浦沢直樹関連の書籍が電子化することに際しては大きな話題となったが、この作品だけなかなか電子書籍版が刊行されていなかった。しかし、発表から1年余りの時を経て2023年1月から漸く電子書籍解禁となった。