概要
リンドン・ベインズ・ジョンソン(英語:Lyndon Baines Johnson、1908年8月27日 - 1973年1月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第36代アメリカ合衆国大統領。テキサス州選出連邦下院議員、連邦上院議員、副大統領(ジョン・F・ケネディ政権)を歴任した。
経歴
1908年8月27日にテキサス州ストーンウォールに誕生する。1924年にジョンソンシティ高校を卒業し、1927年に南西テキサス州教員養成大学に入学して1931年に卒業した。なお在学中に1年休学している。
1937年4月にジョンソンはテキサス州選出の連邦下院議員となり、1949年1月まで務めた。なお第2次世界大戦中は海軍少佐であった。
1948年アメリカ合衆国大統領選挙では、連邦上院議員選挙に出馬した。1949年1月に連邦上院議員となり、1961年1月まで務めた。ジョンソンは選挙での圧勝により「地滑りリンドン」と呼ばれた。なお1953年1月に少数党院内総務に選出された。
1960年アメリカ合衆国大統領選挙
1960年アメリカ合衆国大統領選挙に民主党から出馬したが、この年の3月にニューハンプシャー州での予備選挙から勝ち上がってきたジョン・F・ケネディ上院議員に獲得した代議員数で差をつけられた。なお、この年の大統領選挙ではケネディが民主党の大統領候補に正式指名され、ケネディから副大統領候補に指名された。
副大統領
1961年1月20日に就任し、1963年11月22日まで務めた。在任中はケネディとその兄弟の高い人気もあり、形式的な存在に過ぎなかった。
大統領
1963年11月22日にケネディ大統領が暗殺され、憲法修正第25条の規定によって大統領に昇格した。1964年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬し、共和党の大統領候補であるバリー・ゴールドウォーターを破って当選した。
在任中は公民権法・投票権法の成立と教育改革などの政策を実行した。1964年8月2日のトンキン湾事件を口実に初の北ベトナムへの空爆を実行して1965年に本格化させ、さらに南ベトナムへ軍を派遣してベトナム戦争に突入した。しかし戦争が泥沼化して多数の死傷者を出したことから、1968年アメリカ合衆国大統領選挙への不出馬を表明した。
外交
ソビエト連邦
1967年6月にコスイギン閣僚会議議長と首脳会談を開催し、両国は協調の時代に入ったものの、その一方でベトナム戦争では対立し、打開の糸口は掴めなかった。
日本
1967年10月の首脳会談で日本の佐藤栄作首相に、日本からの沖縄の返還要求について道筋を付けている。
家族
1934年11月17日にクローディア・アルタ・テーラーと結婚した。秘書在任中に出逢い、後にレディ・バード・ジョンソンとして知られるファーストレディである。1944年3月に長女のリンダ・バード、1947年7月には次女のルーシー・ベインズが誕生した。
余談
テキサス州ヒューストンにあるNASAの『リンドン・B・ジョンソン宇宙センター』(ジョンソン宇宙センター)とアメリカ海軍のズムウォルト級ミサイル駆逐艦の3番艦『リンドン・B・ジョンソン』(2019年現在建造中)は彼に因んで名付けられた。(リンドン・B・ジョンソンは第二次世界大戦に海軍少佐として従軍していた。)
ジョンソンというファミリーネームの大統領はもう一人いる(第17代)。性別、人種、姓、南部出身、先代大統領が暗殺される、副大統領からの昇格で大統領就任、大統領退任の年が69年、1期で退任など、何かと共通点が多いが、血縁関係は無い。一部の人々はこれをオカルトと結びつけ、リンカーンとケネディの暗殺に因縁や呪いのようなものが関わっている証拠の1つだと主張している。