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土井たか子の編集履歴

2012-05-10 00:18:31 バージョン

土井たか子

どいたかこ

日本の政治家。女性初の衆議院議長。北朝鮮の国家犯罪を幇助した。

昭和61年に日本社会党(当時)委員長となり、3年後の参院選でマドンナ旋風を引き起こし、憲政史上初の女性での衆議院議長や社会民主党党首まで務めた。


第二次世界大戦における戦勝国の史観に基づく歪んだ歴史観しか持ち合わせていないのに、韓国中国などを回り、謝罪を繰り返した。

そもそも外交とは、国民の財産と他国からの敬意を増進させることに目的があるのに、国益を損なうことばかりに力を注いでいた。


既に北朝鮮の拉致疑惑が日本で言われていたにもかかわらず、昭和62年に訪朝した際にはそのことに触れなかった。

それだけでなく、昭和63年に、拉致被害者の有本恵子さんの母親が土井事務所に相談に訪れたが相手にもせず、その後有本さん側にはなんの連絡もなかった。

平成元年には、拉致実行犯の辛光洙を含む政治犯の釈放を求める嘆願書が韓国政府に提出され、百人を超える日本の国会議員の署名があったが、土井は村山富市などとともに名を連ねていた。

平成9年には北朝鮮への食糧援助を巡って、日本国民が働いた富を無償で提供した上に、相手が犯罪に手を染めているにもかかわらず、擁護し続けた。


平成7年6月9日、「本日は本会議なし、各議員は選挙区に帰られたし」といった通知を衆議院内に回し、多くの議員が地元に戻った隙を狙って、衆議院議長だった土井は夜8時に本会議開会のベルを鳴らした。

議員総数509人の内、265人が欠席するという異常な状況の中、わずか230人という定数の半分以下の賛成で、「植民地支配や侵略的行為に深い反省の念を表明する」といった決議を強行した。

結局騙し討ちに過ぎず、あまりに卑怯なやり方であったために、その後参議院では上程すら見送られた程である。


土井が下手に動き回ったことで、日本は富も名声も失うという結果を招いた。


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