ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

生麦事件の編集履歴

2023-03-19 13:00:29 バージョン

生麦事件

なまむぎじけん

幕末に起こった事件の一つ。

幕末に起こった事件の一つ。現地住人の届け出書・神奈川奉行所の役人の覚書・当時イギリス公使館の通訳見習だったアーネスト・サトウの日記などに、事件の詳細が記されている。それによれば経緯はこうである。


文久2年(1862年)9月14日、島津久光は700人の部下を率いて江戸に向かったが、その道中生麦村(現在の横浜市鶴見区)にて4人の騎馬のイギリス人と行き会った。

薩摩藩士たちは身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したが、イギリス人たちは「わきを通れ」と言われただけだと思い込み、行列がほぼ道幅いっぱいだったため、彼らはどんどん行列の中を逆行して進んでしまった。

遂には久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れ、供回りの声に流石にまずいとは気づきはしたが、今度は「引き返せ」と言われたと受け取って馬からは降りず、馬首をめぐらそうとして辺りに構わず無遠慮に動いてしまう。

これを久光に対する無礼と受け取った向薩摩藩士が彼らを斬りつけ、その中の一人・チャールス・リチャードソン昇天させてしまった。


この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから、文久3年7月に薩摩藩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発した。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました