お気持ち表明
おきもちひょうめい
主にネガティブな意味合いで私見を述べることを、皮肉を込めて「お気持ち表明」と呼ぶ。
該当するのは、聞いてもいない自分語り、悪口、批判、主張、謝罪風脅迫(後述)など。
また、単に的外れな主張を、本人の中だけで完結している考え方という意味で「お気持ち」と呼ぶことがある。
謝罪風
謝罪風脅迫
「お気持ち表明」と呼ばれるものの代表格。
その名の通り、謝罪に見せかけて実際は謝罪出来ておらず、逆に法的措置をちらつかせて脅す手段。
謝罪文の中に提訴予告を混ぜてしまうと、これになってしまう。
悪いことをやらかして炎上した者がよく行う。
- 「法的措置を検討しております」「然るべき対応を取らせていただきます」のように、裁判を起こすことを匂わせる。
上記の内容がテンプレートである。
ただし、このような炎上を起こす者は何かしら疚しい事実を抱えていることが多いため、実際に法的措置を取る例は稀である。
なぜ謝罪風脅迫になるか?
それは、提訴予告を出してる時点で自分の非を全面的には認めていないと解釈されるからである。
それどころか法的措置によるカウンターを目論んでいる、即ち逆ギレしているととらえられてしまうのである。
例えば、自分が相手を殴り、その仕返しに相手が自分を包丁で刺し、世間からも弓矢の雨を飛ばされた時に、「殴って申し訳ございません。ただし包丁や弓矢で反撃してきたので、その点について法的措置をとります。」と言っているようなものである。これでは心証が悪い。
通常は、悪いことをして怒られたら、全面的に自分が悪かったことを素直に認めるものであり、周りからの制裁も(法律とか、いじめとか、ハラスメントとか、関係なく)全て無防備で受け入れるものである。
相手を傷つけた(怒らせた)のだから、自分が傷つけられる(ムッとくることをされる)のは当然なのであり、それに対して反撃するということは、傷つけられて(ムッとくることをされて)当然とまでは考えていないと受け取られ、心証は悪くなる(これは被害者視点で考えれば簡単に分かると思うが)。
一般的には、無防備でないと反省しているとは見てもらえない。
謝罪文を書けば謝罪した扱いになるというわけではなく、謝罪の心が相手に伝わらなければ、それは謝罪文ではなく、謝罪風の文になる。謝罪風と呼ばれるのは、そういった理由である。これは至極当然の当たり前な話である。
炎上で自分の名誉が棄損されることや、何かしらの被害があることが怖いあまりに早まって謝罪風脅迫してしまうのかもしれないが、世間から反省していないと見られる可能性が高く、そっちのほうがリスクも高い。
したがって、法的措置は一切とらず、無防備で謝罪。
どうしてもとりたいのであれば、世間や被害者の怒りが鎮火した後に水面下で密かに対処したほうが無難である。ただし、間違っても被害者に法的措置をとってはいけない。提訴する相手は、この件に全く関係ない第三者(正義マンなどの赤の他人)だけに絞ったほうがよい。
問題行動を起こしたからには、多少は名誉が棄損されても仕方がない。名誉毀損を最小限にする努力は出来るが、全くのノーダメということは、まずあり得ない。
逆ギレせず素直に全面的に悪かったと謝罪したほうが、世間的に情状酌量の余地が認められ、デジタルタトゥーも軽めで済むし、実はそっちのほうがメリットは大きい。
したがって、提訴するのであれば、世間や被害者の怒りが一旦収まってからにしたほうがよいと思われる。