概要
1493(明応2)年、管領・細川政元が室町幕府10代将軍足利義材(よしき)(後の義稙(よしたね))の河内出兵中、彼を廃位し、義材の叔父・足利政知の子である足利義遐(よしとお)(後の義澄(よしずみ))を擁立した政変。
敵対する畠山政長は討たれ、義材は逃亡。
廃された義材は、1507(永正4)年、畿内の実権掌握を巡る内紛によって政元が暗殺されると、翌1508(永正5)年、復権して再び将軍(足利義稙)となるが、1521(大永1)年、管領細川高国の乱によって淡路に亡命。1523年、阿波にて客死。
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