概要
具体的には
(主に創作活動において)「見る→褒める→作る→褒められる(以下ループ)という需要と供給が成立した自己顕示欲を満たすための完成された世界から抜け出そうとしない」自称アーチストの活動(笑)のことである。
(鯨井ルカの台詞より抜粋)
元ネタの台詞
(前略)
「で、自称アーチストというのは常々やってて楽しいと思える程の練習はするが、本当に身になる苦しい修行はツライからせず
一方的に発表できる個展はするが、正式に裁きを受けるコンペやコンクールは身の程知るのが怖いから出ず
馴れ合いの中で自分が才能あるアーチストだと錯覚していく……
駄サイクルの輪は、自称アーチストに限らず、色んな形でどこにでもある……
「自分が輪の中にいると気づかないんだ」
後輩「そう考えると可愛そうな人たちですね」
補足
「需要と供給が成立した自己完結している世界に浸ること」が必ずしも悪いとは言えない。
重要なのは、鯨井ルカも言っているが、
本人の姿勢、目標と、駄サイクルという輪の中にいると気づいているかどうか。
「(駄サイクルの輪にいると自覚したうえで)自分は創作活動を趣味の範囲で楽しめればそれでいい」というスタンスの者が自己完結した世界で楽しむのことは決して悪い事ではない。同好の士が集まって意見交換したり互いに刺激を受け合うことを楽しむのであれば、それはなんら問題では無いし、そういった場所から逸材が生まれる場合だって実際ある。
問題なのは、プロになりたい、もっと技術が上手くなりたいと言ってるにもかかわらず、駄サイクルという馴れ合いの輪にいると気づかない、もしくは気づいていても駄サイクルから抜け出そうとしない者である。客観的に自分を見れない人、本当は自覚しているのだが自分の現状を認めてしまうのが怖い人などがこういった状態に陥りやすい。
そういう現状に満足している者は、えてして技術の向上や厳しいプロデビューは望めないものであり、「上手い人」にはなれても「プロとして自立出来る人」にはなり得ない。
人間誰しも辛いことや嫌なことからは逃げたいものである。創作というものは辛い現実から自分を救うために生み出されるものでもある。
しかし、より多くの人に自分の作品を見て貰いたい、聞いて貰いたいと願うのであれば、それなりの努力や代償、艱難辛苦を乗り越えねばならないのである。
この「駄サイクル」論を語っていた鯨井ルカ当人も、語っている最中で自分がそれそのものになっているのではないかと思い直し、改めて練習に励んでいる。
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