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ミラージュ2000の編集履歴

2012-06-20 21:01:11 バージョン

ミラージュ2000

みらーじゅにせん

フランス、ダッソー社のピュアデルタ機。現在の主力生産機であり、世界8か国で採用されている。これまでのノウハウを基に、最新技術をふんだんに盛り込んで完成した。F-16やMiG-29等にも比肩する性能を誇り、それでいて購入しやすい戦闘機。

ダッソー社

フランスのダッソーは第二次世界大戦前から続く老舗企業ともいえる。

1936年にマルセル・ダッソーが「SAAMB」を設立し、現在のダッソーの基礎になった。


現在までに数度の社名変更がされており、

1947年に「マルセル・ダッソー」、

1971年には同じく航空機製造会社の「ブレゲー」と合併し、「ダッソー・ブレゲー」に変更された。


現在の社名『ダッソー・アビアシオン(ダッソー航空機)』には1990年に変更されており、

新聞社や不動産取引、コンピュータソフト会社等をグループに擁する大企業である。


デルタの系譜

ダッソーが最初にデルタ翼機を製作したのは1950年代である。

当時はソビエトMiG-21アメリカでもF-102が開発されており、

デルタ翼が世界的ブームとなっていた時代だった。


フランス、ダッソーでもミステール戦闘機を基にした「ミステール・デルタ」を空軍に提案していた。

1953年に朝鮮戦争の戦訓を踏まえた要求仕様が空軍から出され、

ダッソーを含む数社の提出プランが比較・検討される事になった。


・・・と、ここでどのプランも小型すぎてレーダーを搭載できない事が判明。

そこで1956年に『マッハ2級新型戦闘機の開発計画』として仕切り直し、

ミステール・デルタを大型化した実験機を製作し、飛行テストする事にした。


1957年、この実験機から得られたデータを基に『ミラージュⅢA』が採用され、

(ミラージュⅠ・Ⅱはこれら実験機)

翌1958年に初飛行した。

5か月後にはマッハ2を記録し、欧州機初のマッハ2級戦闘機となった。


本格的な生産機は ミラージュⅢCからで、輸出もされている。

さらに生産は戦闘攻撃機型のミラージュⅢEに切り替わり、

偵察機型ミラージュⅢRも開発された。


ミラージュⅢは人気のある輸出戦闘機となり、世界10カ国に輸出された。

ミラージュ5も14か国に向けて輸出され、こちらも人気を博している。

印パ戦争フォークランド紛争などに投入され、戦果を挙げた。

一部の国では現在も現役を務めている。


ミラージュ5とイスラエル

1966年、イスラエルの要求に応えて簡易装備型の『ミラージュ5』が開発された。

しかし輸出直前(1967年)に第三次中東戦争が勃発し、

フランスからの制裁として禁輸措置が発令されてしまった。


1968年、輸出の代わりにライセンス契約が結ばれることになったのだが、

今度はエンジン生産契約の関係で生産ができなくなってしまった。


これに対するイスラエルの対抗策が『スパイ行為による設計図の入手』であり、

部品の大小を問わず、あわせて20万枚にも及ぶエンジン設計図は全て盗み出された。

当時、スイスではライセンス生産が許されており、スパイ組織はそこを突いたのだ。


こうして機体とエンジンの設計図が揃い、生産できるようになった。

当然フランスは大激怒。

政府は「ライセンス契約の不許可」を出すが、

ダッソーは秘密裡にイスラエルに協力して、1970年に最初の機体が納入された。


このコピー版ミラージュ5は『ネシェル』と呼ばれ、第四次中東戦争で実戦投入された。

のちにF-4と同じエンジンを搭載したクフィルが登場し、

ネシェルは「ダガー」としてアルゼンチンに輸出された。

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