概要
一条兼香の娘、母は家女房、桃園天皇の女御で後桃園天皇の母、院号は恭礼門院。
経歴
寛保3年(1743年)に誕生、宝暦5年(1753年)に入内、天皇との間に英仁親王(後桃園天皇)・貞行親王を産んだ。明和7年(1770年)に英仁親王が即位して後桃園天皇となり翌年の明和8年(1771年)に皇太后となり院号を受ける。寛政7年(1795年)に薨去。
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