嵐の様な時代も 側から見りゃ唯のクロニクル
その度に 繰り返し 後悔をしたって
忘れたような顔して 仕掛けてくる 誰かのEgoが
※本来は「EGO ~eyes glazing over」と書くがpixivの都合上引っ付けています。
概要
仮面ライダー555の3番目のエンディングテーマ。
エンディングのイメージを抜いた疾走感がある曲。エンディング?と思った方もいるだろうが仮面ライダーの挿入歌はエンディング扱いされることが多いためである。
作詞:藤林聖子
作曲・編曲:渡部チェル
歌:ICHIDAI
また、この曲が最終章あたりで使われ始めた事や疾走感あふれる曲調で敵を一発もしくは一気に倒すシーンが印象に残るためか「処刑用BGM」扱いされることもある。
主な例は
「ピジョンオルフェノクを華麗な殺陣で散華させるファイズ」など、この他にも数回。
この曲がライダーの力の恐怖を盛り上げているのがお分かりいただけただろうか。
曲名の意味
「eyes glazing over」を直訳すると「ガラスのような瞳」となる。
ただ、このガラスは「すりガラス」を思い浮かべてほしい。
かすんでよく見えない「淀んだ瞳」というニュアンスである。
そして「EGO」は、上記の熟語を構成する各単語の頭文字を取ったもので、「エゴイズム(利己主義)」にもかかっている。
二つを組み合わせると「自分の利益ばかり求めている淀んだ眼」となる。
歌詞の意味
一番目は「相手目線」、二番目は「自分目線」であり、戦うことの意味、相手を倒すことの不安といった「ヒーローとしての不安」、戦いによって他人を傷つけているかもしれないという罪悪感を歌い上げている。
ヒーローという概念に対する強烈なアンチテーゼがそこにはある。
歌詞に出てくる「クロニクル」とは年ごとの出来事を記録した所謂年代記であり、歴史を見て見ぬふりして過ちを繰り返す負の連鎖を断ち切ろうという意味も曲の中に入っている。
「ライダー=正義 怪人=悪」の図式を排し、善悪などという単純な価値観では割り切れない物語や、「そもそも人間は守るに値する存在なのか」「何を信じ、何のために戦うのか」といった根源的なテーマを直球で投げつけてきたこの作品のイメージを見事に切り取った歌ではないだろうか。
同時に「他人との相互理解の難しさ」「復讐と暴力の連鎖」「夢(信念)を貫くことに伴う責任とエゴイズム」「同じ夢を持っているのに立場や解釈の違いで起こる争い」といった極めて重たく難しいテーマも織り込まれている。
関連動画
関連項目
関連リンク
リンクテキスト ニコニコ大百科