概要
東北大学に存在するサークルで、理系かと思いきや大学からは体育会系に分類されている。
正式名称は「Team Windnauts」。チーム名は「Wind(風)」と「Nauts(船乗り)」を組み合わせた造語で、「風の海を渡ってゆく、風の船乗り」という意味が込められている。
2001年以降、鳥人間コンテスト選手権大会において、飛距離を競う「人力プロペラ機部門(※2006年〜2016年の名称は「人力プロペラ機 ディスタンス部門」)」の書類審査に毎年合格し続け、着実に記録を伸ばしてきたチームであり、2022年8月現在で優勝6回、準優勝3回の実績を持つ。
現在では、同じ学生チームの「東京工業大学Meister」や「大阪府立大学 堺風車の会(※2006年〜2016年までは「人力プロペラ機 タイムトライアル部門」にて出場していた)」「日本大学理工学部航空研究会(NASG)」そしてDMG森精機の社会人クラブチーム「BIRDMAN HOUSE 伊賀」らとともに、大会の人力プロペラ機部門における最強チームの一角を担っている。
2003年には学生チーム初となる琵琶湖北岸(24.8km)地点への到達を成し遂げ、その時点の歴代最高記録を更新(※当時は折り返しルールがなかったため、そこで出された着水命令に従い、余力を残したまま着水した)。この年は大記録が続出し、記録そのものは同大会で南湖の琵琶湖大橋を目指して後にフライトした日本大学理工学部航空研究会(34.6km、着水命令による記録)と東京工業大学Meister(32.1km)に抜かれたものの、それでも前年度までのチーム記録(1.7km)を大幅に更新して3位に入賞し、大きな存在感を見せつけた。
折り返しルールの制定より2年後の2006年には、チーム初となる折り返しフライトに成功。プラットフォームへの帰還こそできなかったが、当時歴代4位となる28.6kmの長距離フライトでチーム記録を更新し初優勝する。
そして2008年には、遂に前人未到の折り返しフライト完走に成功し、当時の限界距離(36km)に到達。それまでの大会記録を上回る「鳥人間史上最高記録」を刻み付け、ぶっちぎりの優勝を果たした。
これに伴い、それまでスタートから18km地点にあった折り返しポイントが以後の大会で20km地点に変更され、その結果ルール上の限界距離は40kmにまで延長されることとなった。
彼らの残した大会ルールに基づく計測距離の36kmは、後に社会人チーム「BIRDMAN HOUSE 伊賀」が2017年7月に開催された第40回大会において新ルール下での折り返しフライト40km完全制覇を達成するまで、実に9年もの間人力プロペラ機部門歴代1位の座に輝き続けた。
その後2019年7月、日本大学理工学部航空研究会が38,010.28mを飛んだことで一時は学生記録も譲ったものの、2023年7月には42837.78mのフライトで学生記録を奪還している(※なお、現在の最高記録はBIRDMAN HOUSE 伊賀
が2023年7月に「折り返し70kmコース」完走一歩手前で着水した69682.42m/飛行時間2時間31分)
機体の特徴
Windnautsは例年、翼幅が32m前後・機速が7.2m/s前後の、いわゆる「大型低速機」を制作している。ディスタンス部門で大記録を狙うチームは、ほとんどがこれに近い翼幅・機速の機体を運用しているが、Windnautsの機体には、それ以外にも細かなところで複数の特徴がある。
基本構造には、自作のCFRP(炭素繊維強化プラスチック)を用いた桁(機体の基礎となる骨組の部分)を利用し、30mを超える翼幅を持ちながら31〜34kg前後という、極めて軽い機体を制作する技術を確立している。
また、人力プロペラ機としては珍しく主翼に「初期上反角」を採用しているのが最大の特徴。主翼の根本の構造を予め緩やかなV字にすることで、文字通り翼が軽く上に反った形となる。この構造はテイクオフの際に揚力を得やすくすると同時に、主翼を上部から吊って支えるワイヤーが不要となるため、機体重量および飛行時にかかる空気抵抗の大幅な軽減を狙うための設計である。
そのほか、飛行時に安定を保つため、機体に対しかなり大きめの垂直尾翼が備え付けられている。
熱いパイロット達
このように、人力プロペラ機ディスタンス部門で数多くの記録を打ち立ててきたWindnautsだが、記録以上に注目されるものとして、搭乗する歴代パイロットが飛行中に発する熱い咆哮がある。
2006年や2008年のパイロットもかなり熱い台詞を口にしていたが(前者は当時かなり注目された)、2011年にパイロットを務めた中村拓磨氏が発したそれらは、今まで以上に数多くの人々を魅了し、それまでにない感動を与えるとともに、放送終了後には各方面で話題となった。折しも東日本大震災が起こり、東北大学も被災した年のことである。
その中で中村氏本人も応援する人々も、復興への願いと重なってその熱意は並み大抵のものではなかった。その際のフライトも、記憶に強く残る極めて波乱に満ちたものであった。
2011年の飛行
まず、プラットフォームからの直線距離が3kmに達した時点で搭載するGPSが機能しなくなり、自らが湖上のどこにいるのか把握できないという事態に陥ってしまう。追い打ちをかけるように無線も通じなくなり、更にはその状況下で複雑な風に機体が押され、機首が完全にプラットフォームの方を向く「逆走」状態となってしまった。
その後、奇跡的に無線が回復するも、高度は落ち、いつ着水してしまってもおかしくないギリギリの飛行が続く。そんな状況下でも、中村は必死で進路の修正を試み、遂にはプラットフォームから1.5km前後の地点で不屈の大旋回を成功させ、機首の方向を完全に立て直し飛行距離を伸ばし始めた。
その後、機体が度々風に流されつつも少しずつ距離を伸ばすが、体力を使う旋回行動を序盤に行うというトラブルが災いし、中村の身体は徐々に乳酸に蝕まれ、肉体は限界を迎え始め、遂には左脚が攣ってしまう。それでもなお、その屈強な精神力で機体のペダルを漕ぎ続け、最終的には琵琶湖北岸周辺、会場からの直線距離にして18687.12mの地点に着水した。
大会ルールに基づく計測では上記の記録となったものの、会場に備え付けられたGPSより判明した総飛行距離は、なんとチームの最高記録に迫る約35kmにも及んだ。
フライト時間は90分強。
これを見届けた多くの人が、人間の底力というものを知ったという。
なお、中村氏がフライト中に発した名言を以下に列挙する。
中村拓磨氏名言集
「直進する……!」
「聞こえる? 桂(ボートで随行するナビ役)……GPSの信号がない」
「あの、何も聞こえない! 無線がっ!」
「クソっ……対岸は見える、だがこれはダメなんだろう?」
「クソっ……GPSが切れたら俺は運転もできないのかよ」
「もう半分くらいの体力を使っている……帰ってこれるのか、これで……?」
「悪いね……ヘボパイロットで……」
「エンジンだけは……一流のところを見せてやるぜ」
「クソっ……フルパワーだぜっ!! 信じらんねぇ!!」
「やっと戻った(進路修正に成功)……うわ、だいぶ流されてるな……!」
「俺の人生は晴れときどき大荒れ……いいね! いい人生だよ!」
「風を……風を拾うんだ……」
「(風に)押されてる……解ってる……解ってるけど…あああああ!!」
「あっ! 左脚が攣ってる……片脚だけで回すのは……右も限界に近い……」
「あっ……いぎっ……あああああ!! 脚があああああ!!」
「あっ、あああっ……動けえええええ!!」
「東北大学だろ…… ウィンドノーツだろっ!」
「まわれっ!! 回らんかーっ!!」
「桂、今何キロ?」(直後に着水)
「うわあああああ!! くそおおおおお……もっと飛びたかった……」
なお、記録となった18687.12mは第34回大会における最長飛行記録となり、Windnauts史上3度目の優勝を飾った。