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勧修寺光豊の編集履歴

2023-10-18 21:55:17 バージョン

勧修寺光豊

かじゅうじみつとよ

勧修寺光豊とは安土桃山時代から江戸時代の公卿。

概要

父は勧修寺晴豊の子、母は土御門有脩の娘、官位は従二位、権大納言


プロフィール

時代安土桃山時代江戸時代
生誕天正3年12月7日(1576年1月7日
死没慶長17年10月26日(1612年11月18日
官位従二位、権大納言
主君正親町天皇後陽成天皇後水尾天皇
氏族勧修寺家
父母父:勧修寺晴豊、母:土御門有脩の娘
兄弟光豊経遠、伊達行源、俊昌、致康>阿部致康、重清、鳳林承章、佐久間安政室
太田一吉の娘
教豊、養子:経広

経歴

天正3年(1576年)に従五位下となり左衛門佐、弁官、蔵人頭に進み慶長4年(1599年)に参議、武家伝奏となる。翌年の慶長5年(1600年)に従三位、慶長9年(1604年)に権中納言、慶長17年(1612年)に権大納言となる。


人物

慶長8年(1603年)に徳川家康の将軍宣下に赴いたという朝廷と幕府の調停に動いた。光豊公記という日記がある。


外部リンク

勧修寺光豊 - Wikipedia


関連タグ

公家 安土桃山時代 江戸時代 勧修寺家

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