概要
藤原兼家の長男道隆は兼家に変わって関白となるが長徳元年(995年)に死去し死後道兼が関白となるが同年に死去。その後道長が内覧となるが後に道隆の子伊周と隆家が花山法皇襲撃事件を起こし伊周は大宰府、隆家は出雲国へ流された。以降道隆の血統は凋落したが隆家の子孫は水無瀬家などの堂上家を輩出した。
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