貞応元年(1222年)に正五位下、侍従となる、その後右少将、右中将に進み貞応3年(1224年)に従三位、権中納言になり翌年の嘉禄元年(1225年)に権大納言、安貞元年(1227年)に内大臣、寛喜3年(1321年)に右大臣、嘉禎元年(1235年)に左大臣に就任した、嘉禎3年(1237年)に摂政となり翌年の暦仁元年(1238年)に左大臣を辞任、仁治元年(1240年)に太政大臣に就任、仁治3年(1242年)に摂政を辞任、同年に関白となり寛元5年(1247年)に摂政に再任、建長4年(1252年)に摂政を辞任した。