CV:西村知道
概要
毐国家臣。毐国建国に尽力したが、実は楚に派遣されていたスパイ。
なお、虎歴の考えでは太后と嫪毐の子どもの秘匿については完璧だったとのことだが、実は姚買が送ったスパイが、太后が実子を雍で出産した際に目撃していたことで、楚にも実子の存在をバラしていた可能性もある。
雍での出産後に朱凶が子どもの存在を目撃した際、ムタ(キングダム)のような格好の人物が李斯の放った朱凶を倒している。
この場面は虎歴も言及しており、実子の存在は「あの御仁」にだけ知られてしまったと述懐していた。
では、「あの御仁」とは一体誰か?
虎歴が登場するまでの作中の人物の範疇で考えるなら、「あの御仁」は呂不韋と考えるのが妥当だが、そうなると呂不韋と李斯、同じ呂氏派の放った刺客同士で対立していたことになる。
加えて本来は大王勢力である嬴政や昌文君などもこの事態を把握していたことに対しての説明がつかなくなってしまう。
以下、呂不韋または姚買である論拠と問題点を列挙する。
呂不韋の場合
- 毐国反乱編時点で明らかになっている人物で最も可能性が高い
- 毐国を建国させ加冠の儀を壊し、自身が次の秦国王になるという構図が呂不韋の意図と合致する(毐国に挙兵させれば、その反乱軍の鎮圧という大義名分で呂不韋の軍を興しつつ、反乱軍に紛れ込ませた呂氏派も利用し咸陽内の王族などを皆殺しにできるなど、論拠として一貫性が高い)
- 毐国の宣言後、呂不韋は太后と単身で会い、別れ話をしている(ただし隠し子の話の言及は無く、単に建国という暴挙に憂いていただけとも考えられるが)
- 同じ呂氏派である呂不韋と李斯の放った刺客が対立することになるので整合性に疑問が生じるが、この時期は昌平君の離反という憶測が飛び交っており、さらに昌平君の周りも監視が強まっていた話があった。つまり呂不韋には昌平君(と巻き添えだが昌平君が利用していた李斯も)への不信感があり、独自に刺客を送っていたと考えれば筋は通る
- ただし、朱凶は絶え間なく送り続けていたため、描写こそないがあるタイミングで朱凶の諜報が成功し、大王勢力にも流したと考えられる
姚買の場合
- 王弟謀反編終了時点で李斯は姚買の存在を知り、昌文君配下だったものの、金で買収している……と見せかけて実は大王勢力である昌文君と呂氏派である李斯の双方の情報を握る、秦国内の情報戦では最強の人物となっていた
- また、姚買は楚にも自身の主君が居ることが判明しており、毐国の発展に尽力していた本記事の虎歴も楚出身である
- 楚国内の虎歴の立場は明らかとなっていない。建国後の手腕から楚の要職に就いていると思われる(あるいは単なる王族の可能性もある)一方、太后は虎歴を金で買って毐国の大臣に就けている。裏を返せば大臣に相応しい実力を持ちながらも、楚国としては毐国建国による秦の弱体化のメリットが大きいためにあっさり虎歴を引き渡したとも言える。
- また、姚買は秦国では知られていないだけで他国では「危険人物」として認知されていてもおかしくはなく、それは即ち要職の虎歴よりも立場が上な可能性も出てくる。姚買と虎歴はどちらもスパイであることは共通するが、姚買の方が立場は上と考えれば「あの御仁」と表現しても自然であろう。
- 以上を踏まえた上で姚買の場合の動向は、姚買はムタに似た人物を刺客として送り、太后らの実子を目撃。それを姚買に報告した上で、楚に連絡。これにより楚は毐国建国による自国のメリットを享受すべく、姚買よりも立場が低い虎歴を送ったという構図となる。
- 肥下の戦いが終わった時点で姚買は李斯に対し「(中華統一を成すために)秦のために働いている」と言っているが、毐国反乱編当時の秦国は「呂不韋と嬴政の二大政治」の側面が強かったことを思い出してほしい。これは即ち姚買にとっては「呂不韋側に就き呂不韋一強体制に傾けることで、呂不韋の中華統一実現のために動いていた」と考えるなら、当時の秦国にとってはまさに「秦のためになった」と考えられる。
- 上記のように姚買でも筋を通すことはできるが、毐国反乱編時点の動向を見る限りでは推測が多すぎる上にそもそも呂不韋が中華統一の話をしたのは加冠の儀の嬴政との対談が最初で最後である上、呂氏四柱の昌平君すら中華統一の意図は見えていなかった。つまり姚買が「呂不韋が中華統一を考えている」と理解するのはほぼ不可能であり、本気で中華統一を考えているなら意図の見えない呂不韋よりも嬴政の側に就き、毐国建国を止めさせるのが妥当なはずである