オリンピア祭
オリュンピア競技とも
古代ギリシャの民族的式典行事のなかで最も重要で格式が高いものである、ぺロポネソス半島の西北部、オリュンピアのゼウス神殿にて4年ごとに行われた。
式典に伴う行事は体育・運動のみの協議で優勝者への賞品はオリーブの枝でつくった冠、すなわち月桂冠であったがそれは最高の名誉のしるしであった。月桂冠は基本的にギリシャの神々の持ち物あった。(アポロンなど)
第一回は前776年で時代とともに種目が増加し、また参加選手の出身地も広がった。
参加者は自由身分のギリシャ市民の少年・青年にかぎられ、選手は一糸まとわぬ裸体で参加することがルールであった。しかも競技の観戦者も男性のみという徹底ぶりであった。
初期のアマチュア主義はヘレニズム時代に崩れたが、ローマニア支配下のギリシャ地域でも行われた、初代ローマ皇帝のアウグストゥスが少年時代(16歳)の時に選手として参加しローマ皇帝のネロもオリンピックを真似してネロ祭りというのを開催した。ローマ帝国時代はローマ皇帝がオリュンピア競技を主宰していた。
その後ローマ帝国が政情不安定や、キリスト教の台頭によりかつてのローマの文化が否定され始めるとオリュンピア自体も縮小・矮小化されていき、後393年のローマ皇帝テオドシウスによりオリュンピア祭りの永久廃止が決定された。