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柳生兵庫助の編集履歴

2024-05-29 22:24:49 バージョン

柳生兵庫助

やぎゅうひょうごのすけ

日本の江戸時代初期の剣豪。兵庫助は通称であり、本名は利厳(としよし)。

概要

日本江戸時代の初期における剣豪。兵庫助は通称であり本名は「利厳(としよし)」。

柳生石舟斎(宗厳)の長男・柳生厳勝の子であり、妻の珠は石田三成の軍師として知られる島左近の娘である。

祖父である石舟斎から、叔父の柳生宗矩らと共に柳生新陰流を学び、慶長8年(1603年)に、加藤清正からの懇願を受けて熊本藩に仕官するが、気性の荒さから問題を起こして早々に退官し、以降は武者修行として12年に及び諸国を遍歴したとされる。


その後、尾張藩の御附家老である成瀬正成の推挙により、尾張徳川家の兵法指南役となり、叔父の宗矩が開いた「江戸柳生」と対を成す「尾張柳生」の始祖となった。


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日本 剣豪 剣術 武術 柳生新陰流

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