三浦みつる
みうらみつる
来歴
1954年11月25日、横浜市中区本牧間門(神奈川県)で誕生。少年時代は「サスケ」(白土三平)のファンだった。
1967年、父親が亡くなり母子家庭となる。「マンガ家入門」(石森章太郎)を読み、漫画の描き方を覚えた。
1970年、高校に進学。土曜日は学校を休み、土日で漫画を描いていた。
1971年、「世にも不幸な男の話」で『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞を受賞。
1973年、高校を卒業し家具製造会社に就職するが、仕事に追われて漫画が描けず、半年で辞めた。住み込みで新聞配達をしながら各漫画雑誌に持ち込みをする。「さまよう箱は」で第6回手塚賞佳作。
1975年、「僕は狂わない」で第9回手塚賞佳作を受賞。
1976年、もう一度勉強し直すつもりで手塚プロダクションの募集に応募しアシスタントとなる。同期には小谷憲一がいた。手塚治虫は三浦の名前や手塚賞佳作となった作品の内容まで覚えており、その記憶力に驚く。この頃手塚が『週刊少年マガジン』(講談社)で連載していた「三つ目がとおる」は「Theかぼちゃワイン」の原型となった。
1977年、「もしもしこちらは」が『週刊少年マガジン』の第16回新人漫画賞に入選し、掲載される。手塚プロから独立。
1978年、『週刊少年マガジン』で「おもしろ倶楽部」を連載。
1980年、『月刊少年マガジン』(講談社)で「ケサランパサラン」を連載。ミノルタのCMに出演した宮崎美子が人気で、「Theかぼちゃワイン」のエルの造形のヒントとなった。
1981年、『週刊少年マガジン』で「Theかぼちゃワイン」を連載。ヒット作となる。
1981年、テレビ朝日系で「Theかぼちゃワイン」のアニメが放映された。
1983年、「Theかぼちゃワイン」が第7回講談社漫画賞少年部門を受賞。
1985年、『週刊少年マガジン』で「ココナッツAVE.」を連載。この頃からシェル・シルヴァスタインの「おおきな木」に憧れ、絵本を書きたいと思うようになる。
1998年、『コミックアルファ』(メディアファクトリー)で「コンビにまりあ」を連載。
2017年、クラウドファンディングで製作費を調達した「バック・トゥTheかぼちゃワイン」を刊行。「思い残すことなく描き切ることができた」として漫画家引退を宣言。絵本作家を目指すこととなる。