鳥山石燕
とりやませきえん
江戸時代の浮世絵並びに妖怪絵師。
正徳2年(1712年)生まれ(資料によっては正徳4年(1714年)生まれとも)、天明8年8月23日(1788年9月22日)没。
概要
正徳2年(1712年)生まれ、天明8年8月23日(1788年9月22日)没。
本名は佐野豊房(さの とよふさ)。船月堂、零陵洞、玉樹軒、月窓等の画号がある。
喜多川歌麿や恋川春町、栄松斎長喜といった絵師、黄表紙作者の師匠に当たる人物として有名だが、当の本人については不明な点が多い。
経歴
幕府の御坊主家の家に生まれたため、どちらかといえば裕福な暮らしをしていたらしく、 絵に関しては職業というより嗜みであった可能性が強い。
狩野派の門人として絵を習得し、同時に俳諧氏にも弟子入りしていた。
石燕の特徴的な技法として、「鳥山彦」という吹きぼかし技法(グラデーション)が挙げられる。
これらは後の浮世絵師にも大きな影響を与えた。
現代人に馴染み深い絵師としては、水木しげるも石燕の妖怪画から、多くのデザインを引用している。
主な作品に『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』など。これらの妖怪画は現在においても様々な絵師の妖怪造型に多大なる影響を与え続けている。
また、その作品の解説文において様々な洒落や風刺を混ぜ込んでおり、構図自体にも様々な洒落が含まれている。それらは、諺から歴史、あるいは性的な暗喩に至るまで、様々な意味合いを含んでいる。
このことから、石燕は知人の間で「聞人」と呼ばれるほど知識があったといわれている。
創作における鳥山石燕
江戸時代の絵師であり、日本の妖怪文化に大きな影響を与えた人物である。