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寺子屋

てらこや

昔の学校(の様なもの)である。
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概要

 中世における仏教寺院での教育が起源であるとされており、江戸時代には町人の子供達に「読み」「書き」「算盤(そろばん)」「平易な道徳」など基本的な学問を教えていた民間の教育施設として普及していった。
 『手習所』『手習塾』ともいい、当時の日本が世界的にも稀なほぼ100%の識字率を誇っていたのも、寺子屋の働きが大きかったといわれている。生徒の習熟度で教育内容に差異をつけており、現在でいう「落ちこぼれ」も少なかったともいわれている。

 また、当時の商人も丁稚(奉公人)に商いのイロハのほかに「読み」「書き」「そろばん」「平易な道徳」などを教えて商人を育成しており、見込みのある者には管理職である「番頭」「のれん分け」を認めて独立を許しすなど、流通経済の発展に大きな役割を果たしている。
 浪人僧侶、近所の老人などが無料で教師を務めることもあったが、わずかな金銭、味噌醤油や野菜などの生活必需品を受講料として納めることもあった。
時代劇などでよく見かける。

 明治時代以降も存在し、経済的な理由などで学校に行かせられず、親が自ら教えることも出来なかった場合に預けられていた。

しかし、識字率が飛躍的に伸びたのは戦乱の世が終わった江戸時代からであった。
 平安時代においては文字は貴族官吏のものであって、民衆に広がることはなかった。貴族や官吏は民政にほとんど関心を持たず荘園から年貢を搾取することだけを考えて前例踏襲に終始する(まつりごと)を繰り広げた。
 当然ながら治安は悪く、京の都も含め各地に盗賊や海賊が跋扈するありさまとなった。その結果、平氏源氏が追討に派遣されることとなり、武家は徐々に力を蓄えていくこととなる。

 鎌倉時代以降も貴族に代わって武家が略奪に走るなど事態はさほど変わらず、室町時代中期に起きた応仁の乱にいたっては、貴族の邸宅が襲われ、天皇でさえ野盗の襲撃に怯え、食事に事欠くありさまとなった。
 
 時代が戦乱の世となると、混乱はさらに深まってくる。戦国武将の中には略奪を恩賞とし、中にはそれらの行動を奨励するものさえ現れた。博多などの商業都市が武力をもって盗賊や大名たちと対抗したのもここからきている。
 混乱が終結したのは織田信長が畿内を平定してからであった。信長はこれまで当然のように許された将兵による略奪を禁止し、これに違反した場合厳罰に処した。

 しかし、これらの処置に反対するものも多く、いわゆる「朝鮮出兵」においては現地で兵糧の略奪や陶工の拉致が行われ、江戸幕府・2代将軍徳川秀忠の世に一応の修復を果たすものの日本・朝鮮の外交史に大きな傷を残すこととなった。

 豊臣氏の滅亡後、世はようやく泰平を迎えるかと思われたが、当初、幕政は武断的な性格をもっており、領主の圧政によって、寛永14年(1637年)10月、島原・天草に農民による一揆が起こる。これに各地の浪人が呼応して幕府は存亡の危機を迎えた。(島原の乱)
 反乱の鎮圧に幕府は半年を要した。この結果を重く見た老中・松平信綱ら幕閣は、民政を重視することにも着眼し、江戸幕府はようやく200年の長きにわたる泰平を手にすることとなり、これ以降、民衆にも学問が広がっていくこととなった。
 

pixivにおいて

ほとんどが東方Project上白沢慧音が登場しているイラストとなっている。
読み方は「てらこや」であるが、「テラ」な「小屋」の事では決してないので、注意が必要…ないか。

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