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寺子屋

てらこや

江戸時代に庶民への初等教育を担った私塾である手習所(てならいじょ)のこと。「寺子屋」は本来寺院に開設された手習所のことを指す。
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概要編集

現代は寺子屋として知られている手習所江戸時代町人百姓の子供達に「読み」「書き」「算盤(そろばん)」など基本的な学問を教えていた民間の教育施設(私塾)。当時は「手習い」「手習塾」と呼ばれ、堅苦しい言い方では「筆学所」「幼童筆学所」とも呼んだ。「寺子屋」というのは寺院で教えていた手習所のみを指すが、時代劇などの影響により現代では主に「寺子屋」の名で知られている。


手習所の歴史編集

手習所は中世からあった。しかし、識字率が飛躍的に伸びたのは戦乱の世が終わった江戸時代からである。平安時代以前は読み書きは貴族官吏のものであって、民衆に広がることはなかった。貴族や官吏は民政にほとんど関心を持たず荘園から年貢を搾取することだけを考えて前例踏襲に終始する(まつりごと)を繰り広げた。当然ながら治安は悪く、京の都も含め各地に盗賊や海賊が跋扈するありさまとなった。そうした乱世の中で台頭していった武士も読み書きを心得ていたのは上層の武家のみであった。鎌倉時代には武士が地頭などとして徴税などの行政を担うようになり、読み書きの教養は上層武士から徐々に広がっていく。


さらに、江戸時代に入ると商人・百姓といった庶民階級にも読み書きそろばんの需要が高まったことから、全国に1万を遥かに超える手習所が開設された。もっとも、手習所はあくまでも民間経営の学習塾であることから、統計などは無く正確な数字は定かではない。教育内容や進学方式も決まったものがなく、農村部では農閑期のみ手習いに通う子も多かった。


明治政府による小学校開設以降も既存の教育機関として活用されており、後に小学校に再編された寺子屋もあった。

 

識字率について編集

しばしば江戸時代の日本人の識字率は寺子屋によってほぼ100%、世界最高水準であったといわれることがあるが、実際は"識字"の基準(名前と住んでいる場所を書ける程度のレベルから始まり、かな書きで簡単な要件を書けるか、変則漢文で当時の作法に則った公文書を作成できるかなど)によって大きく数字が変動しうる。


当時の識字率について正確な統計は残っていないが、義務教育が行われた後年の1899年に行われた徴兵検査において、新成人男性の2割強が文字を読むことができないという記録が残っており、これは当時の欧米諸国と比べても特別高いものではなかった。つまり、強力な教育制度が敷かれなかった江戸時代の識字率は少なくともこの統計よりは低いものであったと考えられる。


pixivにおいて編集

物事は常に柔軟な頭で考えなきゃ


ほとんどが東方Project上白沢慧音が登場しているイラストとなっている。

読み方は「てらこや」であるが、「テラ」な「小屋」の事では決してないので、注意が必要…ないか。


関連タグ編集

江戸時代 私塾 識字率 そろばん

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