概要
(1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、放送作家、元参議院議員。 東京都出身。
本名は大橋克己で、巨泉の芸名は元々は俳号である。
1960年代から1980年代にかけ、日本テレビ『11PM』や、TBS『クイズダービー』、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』などの司会で名を馳せる。
競馬や野球、麻雀の評論でも活動し、ニッポン放送『大橋巨泉の責任プロデュース 日曜競馬ニッポン』のパーソナリティを務めた。
その後は1990年3月に「56歳になったし、身を引いて司会業は長くやるものではない!」とTBS『ギミア・ぶれいく』以外のテレビ・ラジオのレギュラー番組を全て降板して、メディア業界から「セミリタイア」した。
TVタレントとはどう在るべきなのか
ここでは主に彼のタレント観を中心に語る。
ジャズからアメリカに憧れ、アメリカのTV番組作成を学び帰国した彼が見たものは分刻み秒刻みのスケジュールに振り回される日本のタレント達であった。
「アメリカでは週一回の番組出演で十分に余裕のあるギャランティを得て、趣味とより良い番組作りのための休養が出来ているのに、日本では安値でこき使われあっという間に陳腐化してしまう。」
11PMからの本格的なタレント活動開始にあたり、「消耗品にされてたまるか!!」と彼は独自のプランを立てて臨むこととなった。そのプランは以下の通り。
・同じ局の番組には週一回しか出ない
・番組作りには企画段階から積極的に参加し、必ずヒットさせる
・番組は生放送、もしくは生放送風に撮る。23分(CM込みの30分枠番組の時間)の収録なら24分しかカメラを回さない。(「編集前提ではタレントの魅力など出ない、あまつさえNG集など全くの論外」というのが持論であった。)
・モノマネ企画の番組作りは絶対にしない
そんな彼の手がける番組は「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などといずれも視聴率20%超えのヒット作となった。
(しかし他の業界人たちは「あれは巨泉さんだから出来ること」と学びも尊敬もしなかった。近年のTVの凋落の一因になっていることは否定出来まい。)
2016年7月12日に呼吸不全により82歳で死去。
トリビア
笑ゥせぇるすまんの喪黒福造は大橋巨泉本人をモデルにして作られた。
ドラえもんのテレビとりもちの回では巨泉とおぼしき人物が宣伝していたナンチューメンをジャイアンに奪われている(ただし、ジャイアンはテレビから取り出し損ねて頭からかぶってしまい食べることはできなかった)。