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ハリアーの編集履歴2012/10/11 21:19:33 版
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ハリアー

はりあー

チュウヒという鳥の英語名(Harrier)。またはイギリスで開発されたV/STOL攻撃機。本記事では後者を紹介する。1960年に初飛行した「ホーカー・シドレーP.1127」を原型とする初めての実用VTOL戦闘機(実質的には攻撃機)であり、フォークランド紛争をはじめとして実戦に参加している。生産数718機。

イギリスのホーカー・シドレー社が開発した世界初の実用垂直離着陸機(V/STOL機)である。原型機の初飛行は1960年。1970年代の時点で初期型のハリアーは性能の限界に達していたが、アメリカのマクドネル・ダグラス社は、より洗練したハリアーIIを開発した。

ホーカー・シドレーP.1127

VTOLへの期待

第二次世界大戦終結後、世界各国(特に戦勝国)では次なる戦闘機を模索していた。

Me262のようなジェット戦闘機はもちろんの事だが、

これとは別に『どんな場所からでも離着陸できる戦闘機』というのも求められていた。

つまり、VTOL機の事である。

最初に実用化された方法は『テイル・シッター方式』といい、

早い話が通常の航空機を縦にして運用するというものである。

中でもトリープフリューゲルなどはよく知られている方だろう。

当時はすでに核兵器が実用になっており、

どんな国でさえ首都への核攻撃だけは絶対に阻止しなくてはいけなかった。

VTOLはそのための迎撃機として期待され、実際にXFYは穀物サイロ型格納庫が用意されていた。

れなら設計は通常の機と同じようにでき、お手軽にVTOLを実現できる利点がある。

さて、航空機というものは実に厄介なもので、

エンジンや機体設計で得られた「合計得点」の中から、目的にあわせて割り振らなくてはいけない。

つまり『重い荷物を積む』『長く速く飛行する』なら多くの「得点」を割り振らなくてはならず、

『軽い荷物を遅く運ぶ』ならば、その分機動性や運動性に多く得点をわり振れる。

VTOLの為には多くの点数を求められ、その分航空機としての点数を差し引かれるのだ。

ただし、この方式も推力が自重を上回らなければ離昇できない

そして当時のエンジン出力でこの方法は難しく、計画はいずれも中止される事となった。

ジェットVTOLの試行錯誤

そもそもテイルシッター方式には大きな問題があった。

それこそが『着陸が極めて難しい』という問題で、

垂直上昇⇒エンジン出力を落として降下⇒そのままゆっくり着陸

この過程が難しかった。

降下のスピードが速すぎればそのまま潰れて大破するし、

遅すぎれば燃料が少なくなって重量・推力のバランスがますます難しくなる。

そもそも1以上の推力対重量比を求められ、高出力のエンジンを求められるのだ。

VTOLすべてに求められる課題であるが)

そこで次に考えられたのが

『機体は水平のまま。噴射の方向だけ下にむけて垂直離着陸する』

という方法である。

1954年、フランス人技術者ミシェル・ウィボーが「ジロプテール」を提案。

これは「エンジン前方に配置した四基の遠心式ブロワーをシャフト駆動し、ブロワーのケーシングごと回転偏向させることで垂直離着陸を可能とする対地攻撃機」(wiki)とあり、

おそらくX-22実験機のようなものだろう。

この提案は結局フランス政府の興味を惹くことはできず、

ウィボーは1956年、今度は「NATO総合兵器開発計画」(アメリカ出資)に提出する。

この案は結局イギリスのブリストル・エンジン社にもたらされ、研究が進められていくことになる。

まず嵩張りすぎ・重すぎのウィボー案を検証しなおし、BE48エンジンを設計した。

さらに1957年には前部にファンを追加し、これを偏向するエンジンを提案。

これでも浮き上がらない事が判明したため、後部ファンも偏向することが決定。これが1958年。

当時は国防予算が大幅に削減されていたが、それでも1959年には試作機2機の製作が決まった。

P.1127登場せり

1960年7月、最初の試作機が完成して引き渡し。

しばらくはエンジンテストが繰り返され、使用可能となったのが10月。

同月、機体をクレーンで吊るしての浮揚テストに成功。

11月には単独でのホバリングにも成功している。

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