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塚田凛子の編集履歴

2024-08-07 23:01:08 バージョン

塚田凛子

つかだりんこ

pixivユーザー「S.SHIMIZU」氏の漫画作品「ヨゾラノ星」シリーズに登場する人物(キャラクター)。

概要

1930年(昭和5年)6月1日生まれ。父が劇作家で、自身も劇団員を目指している。初登場はヨゾラノ星2の第9話からと主要人物の中では登場が遅いが、本編終了後に2024年8月に投稿されたヨゾラノ星外伝「リンコのリボン」の主人公に抜擢されている。


当時の女学校は上級生に対して「お姉様」と呼ぶのが風習で、滝田星ら下級生も凛子に対してお姉様と呼んでいる。


経歴

戦前・戦時中

日中戦争が始まってから慰安目的以外での演劇が厳しく規制され、父は特高に目を付けられ、治安維持法の目的遂行罪で逮捕され、監禁・拷問・強要を経て執行猶予付きの有罪判決を受けている。尤も父は中道主義で、慰問巡演をしていた桜隊とも関わりがあったが、過去に共産主義組織と関わりを持っていたことや、「新劇そのものが社会主義である」という理由で世間から共産主義者扱いされていた。凛子も肩身の狭い思いをすることとなり、太平洋戦争中は1つ上で陸軍少佐の娘である小早川瑞江に目をつけられ対立していた。唯一英語教師の藤巻平に対しては心を許しており、敵国語である英語の授業が中止になるまでハムレットなど小説の翻訳を頼んでいる。


このような状況であったが兄の定一が凛子を励まし、戦場で活躍して見返してやると凛子に誓った。間もなく定一に召集令状が届き出征したが、帰らぬ人となって戻ってきた。凛子は定一が入った骨壺を抱えながら「これでウチの家も誉の家じゃ」「二度とアカだの非国民だの言いなさんな」と泣き叫ぶのであった。


1945年8月6日時点で広島光明高等女学校(以降光明女学校)3年生であったが、郊外の工場に動員されており、原爆投下時は爆心地から離れていたことから難を逃れている。

4年生時

終戦を迎え、演劇の規制が解除されたことから凛子は演劇部を結成し活動を開始。当初は凛子だけだったこともありすべて1人で行なったことから女学生の間では「一人劇団」と称されてファンが増え、次第に友人の長谷川哲代が手伝ったり入部者が現れるなど演劇部の活動は順調であった。


そんな時戦時中に対立し、5年1組の級長(当時は生徒会長と同等の扱い)であった瑞江からS(Sister。女学生が特別な関係を持つ風習)の誘いがあり、凛子は不思議に思いながらもそれを了承する。ある日瑞江を誘い、なぜSの関係を結んだか尋ねたところすべてが変わってしまった中、戦時中から正反対のことをしていた凛子から何かを学ぼうとしたことを打ち明けられた。そして卒業式で瑞江から5年1組の級長と休止状態だった校友会会長を任されることになった。


5年生時

このように級長と校友会会長に就いた凛子であったが、半年が過ぎても何をするべきかがわからず途方に暮れていた。そこで各クラスを回ってアイディアを募ったところ、星のアイディアをもとに3年1組から学園祭の提案を受け、開催に向け準備を開始する。また、川島幹治の件で山本純子とケンカしてしまい落ち込んでいた星を見て鐘楼の上へ連れていき、仲直りのきっかけを作った。

しかし直前になって校舎再建を優先したい校長から規模の縮小を言い渡されてしまう。戸惑う凛子であったが藤巻や父親の助言を聞いて外部へ協力を求める活動をする。すると凛子から話を聞いた大工の仲井源蔵と仲間の島内六助、さらに星から話を聞いた奥田栄吾らが光明女学校に駆け付け校長に学園祭実施を迫った。そして校舎再建に影響の出ない方法を提案された校長も折れ、当初の規模で学園祭の実施が決定した。そして学園祭である「光明祭」は無事実施され、成功のうち幕を閉じることになった。


その後

ヨゾラノ星2最終回に登場し、源蔵と六助に会って東京の劇団に招かれたため広島を発つ様子が描かれている。

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