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塚田凛子

つかだりんこ

pixivユーザー「S.SHIMIZU」氏の漫画作品「ヨゾラノ星」シリーズに登場する人物(キャラクター)。メイン画像で一番大きく描かれているのが凛子である。
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概要編集

1930年(昭和5年)6月1日生まれ。父が劇作家で、自身も劇団員を目指している。初登場はヨゾラノ星2の第9話からと主要人物の中では登場が遅いが、本編終了後に2024年8月に投稿されたヨゾラノ星外伝「リンコのリボン」の主人公に抜擢されている。


当時の女学校は上級生に対して「お姉様」と呼ぶのが風習で、滝田星ら下級生も凛子に対してお姉様と呼んでいる。


経歴編集

以降ネタバレが含まれるため、作品を読んでいない方はスキップしてください。

戦前・戦時中編集

世界情勢が不安定になった1930年頃に日本ではプロレタリア文学が盛んになったが、大日本帝国政府は「社会主義の温床になっている」との理由から弾圧を強め(※1)、演劇に関しても厳しく規制されることとなった。凛子の父は中道主義(※2)であったが、過去に共産主義組織と関わりを持ったことや、「新劇そのものが社会主義的である」という理由で特高の監視対象となり、太平洋戦争の直前に治安維持法の目的遂行罪で逮捕され、監禁・拷問・強要を経て執行猶予付きの有罪判決を受け、周辺から非国民扱いを受けていた。このことから凛子も肩身の狭い思いをすることとなり、太平洋戦争中は陸軍少佐の娘で1つ上の小早川瑞江に目をつけられ対立していた。家族以外では唯一英語教師の藤巻平に対しては心を許しており、敵国語である英語の授業が中止になるまでハムレットなど小説の翻訳を頼んでいる。


このように世間から厳しい風当たりを受けた凛子に対し兄の定一は励まし続け、戦場で活躍して見返してやると凛子に誓う。まもなく定一に召集令状が届き出征したが、帰らぬ人となって戻ってきた。凛子は定一が入った骨壺を抱えながら「これでウチの家も誉の家じゃ」「二度とアカだの非国民だの言いなさんな」と泣き叫ぶのであった。


1945年8月6日時点で広島光明高等女学校(以降光明女学校)3年生であったが、郊外の工場に動員されており、原爆投下時は爆心地から離れていたことから難を逃れている(※3)。


リンコのリボン(光明女学校4年生)編集

終戦を迎え、演劇の規制が解除されたことから凛子は演劇部を結成し活動を開始。当初は凛子だけだったこともありすべて1人で行なったことから女学生の間では「一人劇団」と称されてファンが増え、次第に友人の長谷川哲代が手伝ったり入部者が現れるなど演劇部の活動は順調であった。


そんな時戦時中に対立し、女学校の最上学年である5年1組の級長(光明女学校では5年1組の級長は生徒会長と同等の扱いとされている)であった瑞江からS(※4)の誘いがあり、凛子は不思議に思いながらもそれを了承する。ある日瑞江を誘い、なぜSの関係を結んだか尋ねたところすべてが変わってしまった中、戦時中から正反対のことをしていた凛子から何かを学ぼうとしたことを打ち明けられた。そして卒業式で瑞江から5年1組の級長と休止状態だった校友会会長を任されることになった。


ヨゾラノ星2(光明女学校5年生)編集

5年1組級長と校友会会長に就いた凛子であったが、半年が過ぎても何をするべきかがわからず途方に暮れていた。そこで各クラスを回ってアイディアを募ったところ、星のアイディアをもとに3年1組から学園祭の提案を受け、開催に向け準備を開始する。また、川島幹治の件で山本純子とケンカしてしまい落ち込んでいた星を見て鐘楼の上へ連れていき、仲直りのきっかけを作った。

しかし直前になって校舎再建を優先したい校長から規模の縮小を言い渡されてしまう。戸惑う凛子であったが藤巻や父親の助言を聞いて外部へ協力を求める活動をする。すると凛子から話を聞いた大工の仲井源蔵や仲間の島内六助、さらに星から話を聞いた奥田栄吾らが光明女学校に駆け付け校長に学園祭実施を迫った。そして校舎再建に影響の出ない方法を提案された校長も折れ、当初の予定通りに学園祭の実施が決定した。そして1947年10月、学園祭である「光明祭」は成功のうち幕を閉じることになった(※5)。


その後編集

ヨゾラノ星2最終回に登場し、源蔵と六助に会って東京の劇団に招かれたため広島を発つ様子が描かれている。



補足編集

  • ※1:プロレタリア文学の中心であった小林多喜二1933年に逮捕のうえ拷問死するなど、この時点でプロレタリアに対する弾圧は厳しいものがあった。
  • ※2:外伝では日本各地で慰問巡演をしており、広島に滞在中に被爆し団員が全員死亡した桜隊とも関わりがあった描写がある(桜隊につぃてはこちらを参照)。
  • ※3:2年生以上は郊外の工場動員で、1年生も偶数組は爆心地から3km離れた東錬兵場の林の中にいたため重軽傷者はいたものの多くが無事であった。一方爆心地から1.3kmの鶴見橋西側で建物疎開をしていた1年生の奇数組は殆どが死亡し、生き残ったのは星とその日休んだ3名のみである。
  • ※4:シスター(Sister)の頭文字をとったもので、大正時代から続く女学校の先輩と後輩が特別な関係を持つ風習のことである。
  • ※5:光明女学校のモデルとなった広島県立第一高等女学校では1946年秋に復興祭を行なったという記述があり、光明祭はこれを参考として描かれている。

関連項目編集

ヨゾラノ星2ヨゾラノ星外伝:関連人物の詳細についてはこちらを参照。

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