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野宮定基の編集履歴

2024-08-11 20:05:36 バージョン

野宮定基

ののみやさだもと

野宮定基とは江戸時代中期の公卿。

概要

父は中院通茂、母は小笠原政信の娘、官位は正三位、権中納言


プロフィール

時代江戸時代中期
生誕寛文9年7月14日(1669年8月10日
死没正徳2年5月26日(1712年6月29日
官位正三位、権中納言
主君霊元天皇東山天皇中御門天皇
氏族野宮家
父母父:中院通茂、母:小笠原政信の娘、養父:野宮定縁
兄弟周清、通躬定基通夏、円恕、尊智、山科持言
清閑寺熙房の娘
野宮定俊室、庭田重孝室、大久保忠方室、養子:定俊

経歴

延宝3年(1675年)に従五位下、後に侍従、左少将、左中将に進み宝永元年(1704年)に参議、宝永2年(1705年)に従三位となった、正徳元年(1711年)に権中納言となるが同年に死去。


人物

高橋宗恒に有職故実を学び断絶していた加茂祭を再興した、新井白石から評価され返答を記した新野問答がある。


外部リンク

野宮定基 - Wikipedia


関連タグ

公家 江戸時代 野宮家 中院家

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