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北条泰家(逃げ上手の若君)の編集履歴

2024-08-28 15:23:11 バージョン

北条泰家(逃げ上手の若君)

ほうじょうやすいえ

南北朝時代屈指の寝技師。

概要

武力64蛮性57
知力86忠義45
政治79混沌90
統率70革新38
魅力67逃隠91

技能:流浪のコミュ力潜伏地の土地条件を問わず反乱を起こせる
技能:権謀術数(己)政治10%上昇
技能:扇動魅力・交渉15%上昇
権力抗争の時の顔思考が顔に出るが、図※のように短時間で目まぐるしく変化するため政敵は読み切る事が出来ない
マーキング・パターン合わせ三つ鱗に葡萄蔦

1.この長崎円喜高資親子は 眼の上のたんこぶ 追い落とすにはどうすればいいか

2.まず手始めに 奴らが決めた新しい執権金沢貞顕は殺すふりをして脅し追い出す

3.だが狡猾な奴らは 儂に謀反の罪を着せかねないから大義名分を考える必要があるな

4.はぁー面倒くさ 一旦仕切り直しだ 酒を飲みながら時行殿とでも遊ぼう


人物像

逃げ上手の若君の登場人物。

北条高時の実弟にして北条時行の叔父。おでこが広いのと、そのデコに本心が文字として現れるのが特徴。故に良くも悪くも隠し事が出来ない素直な人物と言える。

鎌倉幕府の中枢にいて、鎌倉陥落時に北条一族が自刃するなか、諏訪頼重に時行を預ける手筈を整え、新田軍の負傷兵になりきり鎌倉を脱出。

東北を巡り北条残党を集め戦ったが惨敗。

逃若党と京都へ視察に行く時、近江の関所で田舎侍の演技をするという芸達者な面も見せた。

京都の下宿先に西園寺公宗を紹介した。


生き残る為なら惨めな田舎侍になることすら厭わない、この時代の武士としては規格外の人物。その逃げ上手な所は甥である時行に受け継がれている。

諏訪大社大祝・諏訪頼重・時継親子が北条高時の次男・時行を奉じて乱を起こすと、泰家も合流し一時は足利直義を破り鎌倉を占拠、しかし、直義の兄・尊氏が京より軍勢を率いて下向。

鎌倉幕府残党軍は尊氏の神々しいオーラに戦意を失い瓦解、総崩れとなる。

敗北を悟った諏訪頼重・時継親子は時行ら逃若党を逃がすため、わずかな手勢を率いて時間稼ぎを試みるが、その直前、時行は諏訪頼重・時継親子に「死ぬことは許さない」と涙する。

諏訪頼重・時継親子の覚悟を感じた泰家はこれに対し、

「このような家臣をもったことこそ誇りに思え」

と時行を諭し、自らも再起のため戦場から離脱する。

史実においては、これ以降の記録はなく北条泰家の名前は表舞台から消える。


作中では一年後、後醍醐天皇が南朝を樹立した事に伴い、北条時行は北畠顕家と共に南朝方に帰順する。

時行は、顕家と共に京を収めた尊氏を倒すべく上洛を目指すが、その際に関東庇番衆の一人であり、時行と因縁のある斯波家長との戦いにて無惨な姿となって姿を現す。

実は、泰家は中先代の乱での敗北後、斯波家長の策略により捕らえられていた。その後生きた屍と言えるまでに痛めつけられた末に、時行を嵌める罠として使われる。


時行が家長に勝利した後に解放されるが、その際にも嘗ての闘志は衰えを見せなかったものの身体は既にボロボロであり、誰が見てもこれ以上の戦いは無理でしかなかった。時行からの必死の訴えと、時行の祖母にして自身の母である覚海尼からの叱咤により、額の本音に、「恐かった 死にたくなかった 降りたかった やっと休める」と言う文字と共に最後の闘志は折れ、時行に見送られて戦場から降りたのだった。


逃げ上手の若君

北条泰家

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