戦時標準船とは、主にごく大規模な戦争における貨物需要の急増に対処するために産み出された船舶。
狭義には、第二次世界大戦中に大日本帝国で用いられたもの(後述)を指す。
概要
一般的に短期間に多数の船を建造できるように、各部の設計を共通化(規格化)・簡略化し、低コスト化と工期の短縮化を実現できる構造・製造手法が採用される。
一方で船質、つまり安全性や冗長性、長期間の使用に対する耐久力は平時に設計された船より低くなる事が殆どである。
これは、世界大戦レベルの戦争が勃発すると輸送量が急増し、数百から数千隻の船が必要になることや、敵の攻撃によって喪われた分を速やかに補填しなければならないためである。
戦時標準船の例
大量の船舶を必要とし、またその需要に応えうる建造能力がある国でないと実現できないため、必然的にこれらを建造するのは海洋大国のみとなる。
戦時標準船
日本において第二次世界大戦中に規格化・製造された500~10,000t級の一連の船舶。略して戦標船とも。
一般貨物船、鉱石運搬船、タンカーなど様々な形式が設計され、戦後に完成したものも含めると合計1000隻弱が竣工した。
計画時期によって
- 戦前に逓信省が計画した平時標準船型をベースにした「第1次戦時標準船」
- 船舶被害の増大に伴い建造期間短縮と資材節約を図った「第2次戦時標準船」
- 制海権・制空権の喪失により高速化を追求した「第3次戦時標準船」
- 敵勢力下での強行突破のため速力・防御力を重視した「第4次戦時標準船」
に分けられる。
ただし、このうち③④はほとんどが完成しておらず、戦標船といえば最も大量に生産された(419隻)②のイメージが強いと思われる。
②の「第2次戦時標準船」は撃沈されることを前提に想定運用期間を機関部については1年、船体は3年と想定しており、本来なら二重底で作るべき船体を簡略な一重底で済ませ、低質な鋼材を用いた肉薄な部材を用いている。このため強度が低く、座礁しただけで大破沈没、ボイラー爆発など重大事故を起こした例もあった。また機関もボイラー数を大幅に減らしたりサイズに見合わない焼玉機関で代用したりと低出力であるため速力はカタログ上ですら僅か9ktしか出せず、粗悪な燃料使用も相まって速度が出ずに潮流に流されて座礁した例すらあったという。こうした事故や故障の多さから「ハライタ船」や「轟沈型」という渾名があり、終戦時に残存していた船舶でもこれらが復員輸送に当てられることは無かった。
この他、鋼材の不足を補うため計画されたコンクリート船なども設計は戦標船に準じている。
一部の1万トン級タンカータイプのもの(TL型)は特TL型と呼ばれる簡易空母に改装されて船団護衛に従事する予定であったが、以下のイギリスの類例とは異なり戦時末期にようやく2隻竣工したのみで実戦には間に合わなかった。
リバティ船
アメリカで第二次大戦中に用いられた10,000t級の戦時標準船。1941~45年までの僅かな間に 一般貨物船やタンカーを含めた総数で2700隻以上が建造された。
これは、想定する運用期間を5年程と短く設定し、製造方法も予め部位ごとに組み上げたものを船台やドックで船の形に組み立てるブロック工法が採用されたためで、製造手法が現場に周知された大戦後期には平均建造日数が42日、最も短かった船では起工後わずか4日と15時間29分で進水している。
しかしながら、大量生産の為に大部分を溶接工法としたものの、当時はまだ溶接に関する知見が十分ではなく、複数の船で「船体の自然崩壊(攻撃や座礁等が原因ではない瞬間的な船体折損)」という普通の船では考えられないような事故が発生している。
この対策に尽力した結果破壊力学が飛躍的に発見、船舶や溶接のみならずあらゆる工業分野に多大な恩恵をもたらした。
大戦末期には改良型のヴィクトリー船に移行した。
エンパイア船
イギリスで第二次大戦中に用いられた10,000t級の戦時標準船。約1300隻が建造された。
全ての船名が「エンパイア」で始まるのが特徴の一つ。一応在来工法の枠内で作られており、日本やアメリカのような極端な簡略化生産は行われていない。
一部はCAMシップ、MACシップと呼ばれる簡易空母に改装されて船団護衛に従事した。