武田勝頼とその正室・龍勝院(織田信長の養女にして姪)の間に生まれる。幼名は武王丸。
元亀2年9月16日(1571年10月4日)、母・龍勝院が他界。
元亀4年4月12日(1573年5月13日)、信勝の祖父にして勝頼の父である武田信玄が他界。
天正10年(1582年)、大叔父・織田信長の軍勢が徳川家康や北条氏政・氏直と共に武田領に侵攻。信勝は父・勝頼と継母・北条夫人と共に天目山にて自害した。
実は勝頼が信玄後継者ではなく、信勝が後継者とされていた(勝頼はその後見人)というのが、近年明らかになっている。