概要
僅か4歳前後のとき、父・武田勝頼と兄・武田信勝が織田信長、徳川家康、北条氏政・氏直による侵攻を受け、自害。
その直前に叔母・松姫と共に八王子に逃れたため、戦火に巻き込まれずに済んだ。
江戸幕府ができる1603年前後(貞姫が25歳前後の時)のとき、家康の配慮により宮原義久の正室になった。
1606年、高家宮原家の跡継ぎになる宮原晴克を産んだ。この高家宮原家は明治時代まで続いた。
1630年12月5日に、夫・義久が他界。貞姫はそれから29年後の1659年6月3日に81歳で亡くなった。
宮原家
関東管領・山内上杉憲房の養嗣子になって上杉憲寛と名乗り後を継いだが、憲房の実子である憲政に関東管領職と山内上杉家当主の座を奪われてしまう。
その後真里谷信政を頼って上総市原郡宮原(現・千葉県市原市)に移住し、孫の義照の時に家康に謁見し旗本となり、宮原姓を名乗るようになった(義久は義照の弟)。