替え歌メドレーと鼻から牛乳でスマッシュヒットを飛ばした。
元は落語家を志しており、笑福亭鶴光門下であった。だが破門され、しばらくアルバイトで食いつないでいたとき、アミューズの大里氏を通して、桑田佳祐と交流をもつようになる。ちなみに、彼の芸名は、桑田の変名のひとつ、嘉門雄三から与えられた。
1983年、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」が大ヒット。翌年の「ゆけ!ゆけ!川口弘!!」もヒットを飛ばした。
替え歌メドレーは彼の代名詞の一つで、1992年には替え歌メドレー1~4を編集したバージョンで紅白歌合戦にも出場している。
ただ、替え歌の歌詞を作るのは結構苦労がいるらしい。というのは、元の歌の持ち主、また歌詞に登場する人物のイメージをズタズタにする(本人談)ため、後で怒られることが多いそうだ。
しかし、八代亜紀は「誰も知らない素顔の八代亜紀」(「リバーサイドホテル」)を自分で歌い、荒井注は「あなたはもう忘れたかしら 荒井注がドリフにいたのを」(「神田川」)という歌詞に対し、替え歌メドレー3で嘉門と共演し、往年のギャグを披露している。
桑田佳祐と小室哲哉は自身の代表曲を替え歌にするのを快く許可したという。
嘉門の替え歌メドレーに入っていることで、今なお生命を持つ歌もあるだろう。
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笑福亭鶴光:元師匠
桑田佳祐:ゴッドファーザー