ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

藤原経忠の編集履歴

2024-10-22 19:35:51 バージョン

藤原経忠

ふじわらのつねただ

藤原経忠とは平安時代後期の公卿。

概要

父は藤原師信、母は増守の娘あるいは増秀の娘、官位は従二位、中納言


プロフィール

時代平安時代後期
生誕承保2年(1075年)
死没保延4年7月16日(1138年9月2日
官位従二位、中納言
主君白河天皇堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇
氏族藤原北家中関白家
父母父:藤原師信、母:増守の娘あるいは増秀の娘
兄弟公衡基信経忠、定数
藤原公実の娘
忠能経親信輔経雅信経実経、忠覚、増修、行縁、増忠、藤原家成

経歴

応徳3年(1083年)に従五位下、後に左兵衛佐、周防守となり寛治7年(1093年)に従四位下、後に従四位上、兵部大輔となり承徳2年(1098年)に安芸守、正四位下、後に右馬頭、皇后宮亮となり保安5年(1125年)に従三位、左京大夫になる、大宰大弐を経て長承3年(1133年)に参議、後に大蔵卿、保延2年(1136年)に権中納言、中納言となった。


外部リンク

藤原経忠 - Wikipedia


関連タグ

公卿 平安時代 藤原北家 中関白家

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました