FG42
えふじーよんじゅうに
概要
第二次世界大戦中の1941年後半ごろ、ドイツはクレタ島の戦いの経験から、軽量の機関銃を求めていた降下猟兵(空挺部隊)用に開発されたのがこのFG42である。
他の国では当時、例えばイギリスのブレン軽機関銃のような、大量の軽機関銃 (LMG) を装備していたが、当時のナチスドイツにはブレンの先祖であるZB26が武装親衛隊に限定配備されていた程度であった。降下猟兵は限られた数のMG34を使用していたが、これは他国の軽機関銃よりも重く、コンテナに詰めて投下されたが戦闘中に回収できないことが多く、兵が携帯して降下できる自動火器が求められた。こうしてヘルマン・ゲーリング (Herman Göring) の許可により、FG42が開発された。この銃はオートマチックで単射だけでなく連射することもできたので、分隊支援火器として使用できた(当時はまだアサルトライフル的運用概要が無かった)。
基本データ
全長 | 937mm |
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銃身長 | 502mm |
重量 | 4200g |
使用弾薬 | 7.92mm×57 |
装弾数 | 20発 |
作動・閉鎖方式 | ガス圧作動式 ロータリーボルト式 |
※いずれもⅠ型のもの。
設計
ヘルマン・ゲーリングによる要求は、標準的な小銃弾を使用し、充分な信頼性を持ちながらも歩兵用の小銃、狙撃銃、軽機関銃(分隊支援火器)の全ての役割を兼ねることができ、かつ降下用の装備品として兵士が身につける事ができる重量、サイズに収めるという非常に厳しいものであった。
特に、当時のドイツの標準的な弾薬で小銃用としては強力な部類に入る7.92×57mm弾を使う以上、外寸のみならず重量も嵩張ってしまう事から要求の達成は茨の道であることは明らかで、結局この要求に対して主な小銃メーカーは匙を投げてしまい、審査に応じたのは航空機用機関銃などを手掛けていたラインメタルとクリーホフの2社、うち採用されたのはラインメタルのものであった。
構造・特色
軽機関銃や狙撃銃として用いる際に有効なバイポッドを備え、反動による動揺を抑えるためにMG34やMG42のような直銃床が採用されている。
照準器は直銃床となったため高さが高くなり、降下作戦などで吊索に引っ掛からないよう照星、照門ともに64式小銃のように折畳式とされた。また、光学照準器の取付が可能である。
マガジンは20発入りのものがピストルグリップの真上、レシーバー左側に挿さる構造である。
つまり機関部はブルパップ方式程ではないにしても、主だった自動銃と比べるとだいぶ後ろに位置する。(通常の銃ではマガジンがある辺りにグリップがある)
機関部はガス圧作動式(ロングストローク ガスピストン)で、閉鎖機構はターンロックボルト式とオーソドックスなものだが、フルオート射撃時はチャンバーやボルトを冷却するためにオープンホールド、セミオート射撃時はクローズホールドとなる珍しい構造であった。
一方で、重量や外寸などの厳しい要求に応えるため強度が高く材料費が嵩むスウェーデン鋼を多用しており、複雑な加工を要することも相まって著しく高コストとなってしまった為生産数が伸びなかった。
また、銃身の下に脱着可能なスパイク式の銃剣が備わっていたが、強度が低かったため評価は芳しくなかったそうである。
後期型(Ⅱ型)
ドイツが守勢となってしまった1944年頃に入ると、本銃の存在意義である降下作戦は非現実的となった。
この為、外寸や重量などの条件が緩和され、コストが低い材料で製造できるよう設計が変更された。
結果、重量が4.2kg→4.9kgと重くなり、強度が低い材質でも充分な強度が確保できるよう機関部は1回り大きくされたほか、銃床が木製になっている。
この銃は戦時中は特段区別されなかったが、愛好家などによって「Ⅱ型」或いは後期型と呼ばれている。
また、実戦からのフィードバックも行われた。
一例では、短い銃身で強力な弾薬を射撃するため特にフルオート射撃でマズルフラッシュが酷く、射手の位置が暴露されやすいという欠点があったため、フラッシュハイダーの改良が行われた。
それまで、ハンドガード前端にヒンジがあって前向きに折り畳まれていたバイポッドは、固定機構が無かったことも災いして連射すると自動的に折り畳まれてしまう欠点があったが、この型からヒンジをフラッシュハイダー近くに移設して後向きに折り畳むよう変更された。
角度が急であったグリップも、伏射で使いやすくするためか、垂直に近い一般的な角度に改められている。