朝潮型駆逐艦としての「霰」
朝潮型駆逐艦10番艦として1939年4月15日に竣工、ロンドン軍縮条約下で保有量を満たす計画「マル2計画」のうち、条約を破棄することを前提とした「朝潮型」最後の駆逐艦である。着任後第18駆逐隊に編入される。
同型艦「霞」は9番艦とされているが、「霰」の就役の方が「霞」より早かったため、「霰」を9番艦、「霞」を10番艦とする場合もある。事実、「艦隊これくしょん」の「図鑑表示」では「霰」は9番艦となっている。
太平洋戦争開戦時は同型駆逐艦の「霞」や陽炎型駆逐艦の「陽炎」「不知火」と共に機動部隊の護衛として数多くの作戦に参加している。
真珠湾攻撃時、南雲機動部隊の護衛として作戦に参加して以降、南雲機動部隊と行動を共にしている。第四艦隊事件以降神経質になっていた設計によって速力・航続力に欠き、航続距離が短いために燃料用ドラム缶を艦内に積んで行動していた。
1942年、ラバウル攻撃、ポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦、セイロン沖海戦を機動部隊の随伴艦として参加。しかしミッドウェー海戦では攻略部隊として参加し、長く随伴した空母機動部隊の最期に立ち会うことはできなかった。
その後、第18駆逐隊は航空母艦「千代田」と輸送船「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカ島に向かう。1942年7月5日、霧に包まれたキスカで仮泊を強いられた第18駆逐隊には米潜水艦「SS-215 グロウラー」の魔の手が忍び寄っていた。霧が晴れ、入港を試みようとした直後、グロウラーの一番目の標的となった「霰」に、放たれた魚雷が左舷に命中、第一魚雷発射管が吹き飛ぶ。その後「不知火」「霞」も被雷し、残った主砲と第二魚雷発射管で反撃を試みるも潜水艦には効かず、グロウラーが更に放った魚雷の命中により艦体はV字に折れ、そのまま沈没した。艦長以外の乗員104名は「霰」と運命を共にしている。これにより、朝潮型最終艦にして最初の沈没艦となってしまう。この際、海軍内からは司令駆逐艦であった僚艦「霞」に対する非難の声が上がり、「霞」に座乗していた第18駆逐隊司令宮、坂義登大佐は責任を取って切腹自殺を遂げた。その後、第18駆逐隊は解隊となる。
「霰」沈没から64年後の2006年8月、沈没した米潜水艦「SS-216 グラニオン」捜索チームがソナーにより沈没している「霰」を発見。多くの遺骸が発見されており、吹きとんだ第一魚雷発射管も発見されている。
艦娘としての「霰」
プロフィール
艦名 | 霰 |
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図鑑No | 89 |
艦級 | 朝潮型9番艦 |
艦種 | 駆逐艦 |
CV | 宮川若菜 |
「駆逐艦霰、抜錨します」
概要…ありかも…
黒髪に大潮と共通の帽子、朝潮型のトレードマークである吊りスカートにミステリアスさを感じさせる目を持つ。
その顔立ちに違わず、物静かで不思議な雰囲気の喋り方をする。
しかしなんといっても霰の一番の特徴は「んちゃ」である。ドロップ時の自己紹介でも「霰です……。んちゃ、とかは言いません……。よろしく……。」と発言しているが、これは言うまでもなく漫画『Dr.スランプ』の主人公の「則巻アラレ」を元ネタとしている。このようなフリをしておきながら、改装時に「んちゃ」と言っている。気に入っているのだろうか。また、「え……? なに、この拍手喝采は……? 霰が何かしたの……?」も、「拍手喝采雨霰」に掛けていると思われる。
「砲戦より、水雷戦ですよ……?」
関連タグ…ですよ?
第18駆逐隊僚艦:陽炎(艦隊これくしょん) 不知火(艦隊これくしょん) 霞(艦隊これくしょん)
他の朝潮型駆逐艦:朝潮(艦隊これくしょん) 大潮 満潮(艦隊これくしょん) 荒潮