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秋雲の編集履歴

2013-10-29 00:27:29 バージョン

秋雲

あきぐも

日本海軍の駆逐艦と、それをモチーフにした『艦隊これくしょん』のキャラクター。

駆逐艦「秋雲」

1939年度(マル4計画)仮称第115号艦として浦賀船渠で1940年7月2日起工、1941年4月11日進水、同年9月27日に竣工。

横須賀鎮守府籍となる。


竣工後はと共に五航戦に編入され、翔鶴瑞鶴の護衛を務めた。

真珠湾攻撃を経て、ラバウル、ニューギニアおよびビスマルク諸島方面の作戦や、セイロン沖海戦に参加。

その後夕雲巻雲がいた第十駆逐隊に編入され、第十駆逐隊も第十戦隊に編入された。


1942年10月26日の南太平洋海戦では、航空攻撃によって大破した米空母ホーネットを「事情許さば、拿捕曳航されたし」との命令を受け、巻雲と共に追跡した。

しかし排水量で大きく差がありすぎる上、大破炎上したホーネットを拿捕することなど不可能であり、巻雲と共に雷撃処分することとなった。

沈みゆくホーネットの姿を見た相馬艦長は、この光景を軍令部に報告提出すべく写真撮影するよう命じるが、航海長に「夜ですから写真は無理ではないですか」と意見されたため、スケッチでホーネットの最期を記録する事となった。

スケッチを担当した信号員が「細部が見えない」と申し出ると、相馬艦長はスケッチの助けにしてやろうと「探照燈照射用意」と令して、ホーネットに向けて何度もサーチライトを照射したが、この行為は自らの存在を敵潜水艦に知らしめることにも繋がりかねず、事情を知らない他の乗組員は驚き、巻雲からは「如何セシヤ」の発光信号が送られた。

相馬艦長は周囲の驚きをよそに5回、6回もサーチライトの照射を行い、「大胆というか、無謀というか」所業の助けを得た信号員は、幸い敵に発見されることなく無事にホーネットの最後の姿を描ききることが出来、信号員が描いたスケッチは後世に残されたのであった。

またホーネットはB-25を飛ばして東京を空襲した空母でもあったため、乗組員の中には「東京空襲の仇を取ったぞ」と喝采をあげる者もいた。


1944年4月10日、ミンダナオ島ダバオに向かう途中米潜水艦に撃沈された。


秋雲が陽炎型なのか夕雲型なのかについてだが、過去の資料では夕雲型2番艦とされていたが、1994年の調査で海軍の内令や工廠の図面等に「陽炎型秋雲」の記述があることが発見され、陽炎型の最終型という研究が発表された。


艦これにおける秋雲

艦名秋雲
図鑑No132
艦級陽炎型19番艦
艦種駆逐艦
CV竹達彩奈?

陽炎型19番艦(最終艦)の駆逐艦娘

9月のアップデートで夕雲と共に実装された。

前述のとおり、自分でも陽炎型なのか夕雲型なのかハッキリしていなかったりするが、ゲームでは陽炎型に分類されている(但しデザインは夕雲や巻雲と同じブレザーとなっている)。

ホーネットのエピソードから絵が上手いという設定が与えられており、その時敵に発見されなかったことからも、運と回避のパラメータがネームシップの陽炎よりも高めに設定されている(流石に同じ陽炎型の雪風ほどではないが)。


そのポーズから、「コロンビア」という愛称が与えられている。

なお、コロンビアは既に鬼怒が居ることから、「コロンビア二号」などと呼ばれることも。


現在建造では入手できず、ドロップでしか手に入らない。

しかもドロップ出来る海域は5-1、5-2、5-3…と超難関マップばかりである。


関連タグ

艦隊これくしょん 艦これ 駆逐艦娘

陽炎型 夕雲型 夕雲 巻雲

コロンビア

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