概要
大洋漁業(現マルハニチロ食品)の実業団チームを起源とする。1949年11月にプロ野球球団大洋ホエールズとして設立。当初の本拠地は遠洋漁業の根拠地である山口県下関市であった。1955年に神奈川県へ保護地域を移転。川崎市民球場を本拠地とした。1978年に横浜スタジアムに本拠地を移し、球団名も横浜大洋ホエールズへ変更。
1993年シーズンより球団名を横浜ベイスターズに改名。2002年より、親会社はTBS(現TBSHD)に変更。2011年の11月には、モバゲーを運営するDeNAがTBSが持つ株を譲与されたことで親会社が再び変更。チーム名も同年12月から現在のものに変更された(1993年以降から2011年の球団名の改名までの間、現在のNPB12球団で唯一親会社の名が入っていない球団であった)。
1998年には38年ぶりのリーグ優勝と日本シリーズ制覇を達成したが、近年は低迷が続いている。
現在の本拠地は横浜スタジアム。
キーワード・歴史
プロ野球草創期の「松竹ロビンス」と大洋ホエールズの合併
現在の横浜DeNAの母体となったのは上述の通り大洋漁業の実業団チームだが、その大洋と1953年に合併した(形式は対等合併、実質的には大洋が松竹を吸収)相手が松竹ロビンスである。詳細については当該項目を参照されたし。
なお、基本的に松竹は現在の横浜DeNAの歴史においては傍系扱いで優勝回数などはカウントされない。
大洋は1949年に日本野球連盟に加盟、まるは球団から1950年のセ・リーグ加盟後に大洋ホエールズに改称。当時は山口県下関市に本拠地を置いていた。
1953年に松竹と合併、大洋松竹ロビンス(1954年より通称の洋松ロビンス)となる。
さらに1954年オフにチーム名を大洋ホエールズに戻し、本拠地を神奈川県の川崎球場に移す。
しばらくはBクラスの中を低迷していたが、1960年に初優勝。さらに日本シリーズで大毎オリオンズを破り日本一に輝く。
その後は秋山登・青田昇を筆頭に近藤和彦、桑田武、松原誠、平松政次、ジョン・シピン、クリート・ボイヤーら、1970年代には山下大輔、基満男、高木豊ら名選手を輩出するもののなかなか優勝は出来なかった。
横浜スタジアム移転、ベイスターズと「マシンガン打線」
1978年にチーム名を横浜大洋ホエールズに改称、本拠地を現在の横浜スタジアムに移転。
横浜移転後も優勝は出来ず。その間にも、高木、加藤博一、屋鋪要の「スーパーカートリオ」を売り出したり、遠藤一彦、斉藤明夫ら名投手を輩出している。
監督はこの間土井淳→関根順三→近藤貞雄→古葉竹識→須藤豊→江尻亮→近藤昭仁→大矢明彦→権藤博と目まぐるしく変わっている。
その中でも古葉政権下では後の98年優勝メンバーの多くを獲得していたり、江尻時代には盛田幸妃・佐々木主浩のダブルストッパーを確立している。
1992年オフに球団名を横浜ベイスターズに改称。93年に親会社・大洋漁業がマルハに改称することに伴い、球団も地域密着型市民球団を目指し、球団名から企業名を排除し、且つ、大洋漁業の主力事業だった商業捕鯨の規制が強化されている事に鑑み、チーム名そのものから「クジラ」を排除した新名称が採用される事となった。
その後はAクラスとBクラスを行ったり来たり。それでも権藤監督就任1年目の1998年は不動の抑えの佐々木を中心とする投手陣と「マシンガン打線」が噛み合って38年ぶりのリーグ優勝を達成。日本シリーズでも西武ライオンズを破り、日本一に輝く。
2000年代の暗黒時代
1999年もマシンガン打線は健在だったが主力選手の故障離脱などで3位に終わる。オフに佐々木がMLBシアトル・マリナーズに移籍。
2000年、2001年はAクラスを確保するものの、2002年は記録的な低迷を続けて最下位に転落。
またこのころからTBSが本格的に経営に参加するが、やる気のない経営姿勢が暗黒ぶりに拍車をかけた。
2003年からは山下が監督就任するも2年連続最下位で解任。さらに2005年からは牛島和彦が監督に就任。この年は3位に浮上するも翌2006年は最下位に沈んでしまう。
2007年からは10年ぶりの復帰となる大矢明彦にチーム再建の采配を託す。2007年は最終的に4位で終わるもAクラス争いを演じ続けたが、翌2008年は記録的な最下位に沈む。またこの年首位打者を獲得した内川聖一の打率.378をチーム勝率.338が下回るという屈辱を味わっている。
また2009年は正捕手だった相川亮二のFA移籍に加えシーズン途中には大矢が監督を解任され、二軍監督だった田代富雄が代わりに指揮を執ったが結局最下位のまま。
2010年は読売ジャイアンツから尾花高夫投手コーチを迎えて監督に据えるが最下位のまま。オフには球団売却の話も出ているが破談している。
2011年も惨状は相変わらず。この間、清水直行・橋本将・野口寿浩・寺原隼人・山本省吾・森本稀哲・ターメル・スレッジ・大沼幸二と他球団で実績を残した選手を次々と補強するが、相川・内川・村田修一・多村仁志・吉村裕基ら他球団にFA・トレード移籍した選手の穴を埋められなかった。これに加え、本拠地・横浜スタジアムは前年に使用契約が切れており、契約更新を求めるも、スタジアムの社長で当時の地元財界の有力者である鶴岡博から「スタジアムから出て行け!」と恫喝される程、地元との仲が険悪になった。
2011年オフに尾花監督の解任とDeNAへの球団売却が正式に発表。球団名を現在の横浜DeNAベイスターズに改称する。新監督には中畑清を招聘、GMに高田繁を就任させる。監督は当初、工藤公康を招聘しようとしたが、破談している。
DeNAへの経営譲渡
DeNA球団1年目の2012年も最下位に沈む。しかし2年目の2013年には遂に長い最下位を脱出。最終順位こそ5位に終わったものの終盤までCS争い、ギリギリまで4位争いを繰り広げファンに暗黒時代の終焉を期待させている。
2014年も5位に沈み、中畑監督は辞任を申し入れるが、球団から慰留され続投。
2015年は春先は絶好調だったものの、交流戦を境に次第に失速。前半戦はどうにか首位で折り返したものの、勢いは既に削がれてしまっており最下位に転落。前半の時点で続投が報じられていた中畑は最下位になった責任を取り辞任した。後任には、アレックス・ラミレスが監督として3年ぶりに復帰。
2016年は4月に出遅れるものの、5月には一気に借金を完済。7月に3位になった後は1度も下がらず、9月19日に3位以上を確定させ、2005年以来11年ぶりのAクラスを決め、クライマックスシリーズに初めて進出した(CS発足後現存する12球団で一番遅い)。翌日には、大洋時代を知る最後の現役選手である三浦大輔が現役引退を表明した。
クライマックスシリーズでは、ファーストステージで巨人を2勝1敗で破るが、広島と戦ったファイナルステージは1勝4敗(カープへのアドバンテージ含む)で敗れた。
2017年はシーズン終盤の巨人とのCS争いを制して2年連続3位でCS出場。甲子園での「泥試合」、広島マツダスタジアムでのコールド負けと天気との戦いもあったがそれぞれ2勝1敗、4勝2敗(カープへのアドバンテージ含む)で勝利。セ・リーグ初となる3位からの日本シリーズ出場(19年ぶり3度目、球団名変更後初)を達成。日本シリーズではソフトバンクと対戦し、いきなり3連敗(横浜スタジアムで行われた第3戦の敗戦で「日本シリーズホーム不敗記録」が途絶えた)。2005年阪神以来の4連敗が危惧されたが、2連勝で巻き返してヤフオクドームに戻り、大逆転を狙うも第6戦サヨナラ負けで力尽き、2勝4敗で初の日本シリーズ敗退となった。コレにより、1950年に出場し、1952年に消滅した松竹ロビンスと、2004年に消滅した大阪近鉄バファローズ(4回出場ですべて敗退)を含む日本シリーズの参加経験のある20世紀・昭和誕生の13球団が日本シリーズを敗退した事になる(2005年発足の楽天は2013年の優勝以外に出場・敗退がない)。
20年ぶりのリーグ優勝を目指した2018年は東克樹(1位)と神里和毅(2位)の新人コンビが躍動し、新外国人ネフタリ・ソトが41本で本塁打王に輝くも、シーズンはCS進出を逃す4位となった。
球団創設70年目を迎えた2019年は、4月は調子が上がらず下位に低迷していたが、交流戦を機に徐々に復調。
一時は首位巨人に0.5ゲーム差まで詰め寄るも、最後は巨人の底力に屈して9月21日に目前胴上げを許したが、ソトが2年連続の本塁打王と打点王の2冠に輝き、1997年以来となる2位になった。
CSファーストステージでは、滑り込みで3位に浮上した阪神タイガースと本拠地・横浜スタジアムで戦うこととなった(本拠地初開催。CS発足後現存する12球団で一番遅い)が、初戦は中盤まで自陣に有利な展開へと進めるも、バッター陣の作戦ミスや中継ぎ陣の崩壊でリードを守り切れず痛い逆転負けを喫してしまう。第2戦では、9回表までに同点に持ち越されるも、乙坂智のサヨナラ2ランで逆転勝利し、逆王手をかけることに成功する。しかし、翌日の第3戦では、中継ぎ陣のバッテリーミスによる失点と打線の不調に苦しみ、前日のようなサヨナラ逆転も叶わず、結局1勝2敗で阪神に敗退、ファイナルステージ進出とはならなかった。
pixivでは
タグは2011年までの正式名称だった横浜ベイスターズが多く、他にベイスターズ等にも分散されている。
イラストではAAにもなっている星菜ややる大矢の他、スッダレ関連で実況パワフルプロ野球シリーズの六道聖やデニー友利、またベイスたんも描かれている。
また近年のあまりの弱さからそれをネタにしたイラストも多数。なお、コラボレーションも実施したミルキィホームズ関連のイラストもちらほら。
選手一覧
2020年2月11日現在
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
80 | アレックス・ラミレス | 監督 |
83 | 青山道雄 | ヘッドコーチ |
76 | 田代富雄 | チーフ打撃コーチ |
77 | 坪井智哉 | 打撃コーチ |
72 | 川村丈夫 | 投手コーチ |
73 | 木塚敦志 | 投手コーチ |
88 | 永池恭男 | 内野守備走塁コーチ |
75 | 上田佳範 | 外野守備走塁コーチ |
89 | 藤田和男 | バッテリーコーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
18 | 三浦大輔 | 監督 |
82 | 万永貴司 | 総合コーチ |
90 | 大村巌 | 打撃コーチ |
84 | 嶋村一輝 | 打撃コーチ |
70 | 下園辰哉 | 打撃コーチ |
78 | 大家友和 | 投手コーチ |
86 | 牛田茂樹 | 投手コーチ |
85 | 柳田殖生 | 内野守備走塁コーチ |
97 | 田中浩康 | 内野守備走塁コーチ |
71 | 小池正晃 | 外野守備走塁コーチ |
74 | 鶴岡一成 | バッテリコーチ |
79 | 新沼慎二 | バッテリーコーチ |
所属選手
投手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
11 | 東克樹 | 左 | 左 | |
12 | 阪口皓亮 | 右 | 左 | |
13 | 伊勢大夢 | 右 | 右 | 2019年ドラフト3位 |
14 | 石田健大 | 左 | 左 | 選手会長 |
15 | 井納翔一 | 右 | 右 | |
16 | 大貫晋一 | 右 | 右 | |
17 | 三嶋一輝 | 右 | 両 | |
19 | 山﨑康晃 | 右 | 右 | |
20 | 坂本裕哉 | 左 | 左 | 2019年ドラフト2位 |
21 | 今永昇太 | 左 | 左 | |
24 | 齋藤俊介 | 右 | 右 | |
26 | 濵口遥大 | 左 | 左 | |
27 | 上茶谷大河 | 右 | 右 | |
28 | 勝又温史 | 右 | 左 | |
30 | 飯塚悟史 | 右 | 左 | |
34 | 平田真吾 | 右 | 右 | |
35 | 三上朋也 | 右 | 右 | |
41 | 櫻井周斗 | 左 | 左 | |
43 | 進藤拓也 | 右 | 右 | |
45 | マイケル・ピープルズ | 右 | 右 | 新外国人 |
47 | 砂田毅樹 | 左 | 左 | |
48 | 京山将弥 | 右 | 右 | |
49 | 赤間謙 | 右 | 右 | |
53 | スペンサー・パットン | 右 | 右 | |
54 | 浅田翔汰 | 右 | 右 | 2019年ドラフト7位 |
56 | 濱矢廣大 | 左 | 左 | |
58 | 武藤祐太 | 右 | 右 | |
59 | 平良拳太郎 | 右 | 右 | |
62 | エドウィン・エスコバー | 左 | 左 | |
67 | 古村徹 | 左 | 左 | |
68 | 藤岡好明 | 右 | 左 | |
65 | 国吉佑樹 | 右 | 右 | 65から背番号変更 |
93 | 中川虎大 | 右 | 右 | |
94 | 笠井崇正 | 右 | 右 | |
046 | 田中健二朗 | 左 | 左 | 育成選手 |
100 | 宮城滝太 | 右 | 右 | 育成選手 |
107 | レミー・コルデロ | 左 | 左 | 育成選手 |
109 | ジョフレック・ディアス | 左 | 左 | 育成選手・新外国人 |
捕手
内野手
背番号 | 名前 | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0 | 中井大介 | 右 | 右 | |
2 | ホセ・ロペス | 右 | 右 | |
4 | 伊藤裕季也 | 右 | 右 | |
5 | 倉本寿彦 | 右 | 左 | |
6 | 森敬斗 | 右 | 左 | 2019年ドラフト1位 |
9 | 大和 | 右 | 右 | |
23 | タイラー・オースティン | 右 | 右 | 新外国人 |
31 | 柴田竜拓 | 右 | 左 | |
38 | 山下幸輝 | 右 | 左 | |
40 | 飛雄馬 | 右 | 右 | |
42 | 石川雄洋 | 右 | 左 | 7から背番号変更 |
44 | 佐野恵太 | 右 | 左 | キャプテン |
51 | 宮﨑敏郎 | 右 | 右 | |
55 | 田部隼人 | 右 | 右 | 2019年ドラフト5位 |
60 | 知野直人 | 右 | 右 | |
64 | 百瀬大騎 | 右 | 左 | |
99 | ネフタリ・ソト | 右 | 右 | |
108 | フランディー・デラロサ | 左 | 両 | 育成選手・新外国人 |
外野手
マスコット
2012年3月以降
2012年3月以前
過去に所属した選手
ア行
カ行
サ行
タ行
ナ行
ハ行
マ行
盛田幸妃(幸希)
ヤ行
ワ行
外国人
球団歌
公式球団歌は横浜ベイスターズ時代に作られた『熱き星たちよ』である。
DeNA譲渡後は歌詞の「横浜ベイスターズ」を「DeNAベイスターズ」に変えて引き継がれたが、リズムが整わないためファンは以前の歌詞のまま歌っている。
またDeNA譲渡以降、2013年を除く毎年所属する代表選手がこの歌を歌いリリースするという他球団にはない形式を取っている。
熱き星たちよ
行くぞ大洋(大洋ホエールズ時代の球団歌)
関連タグ
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ミルキィホームズ(2011年にコラボレーション試合を実施)
ベイスターズファンの人物
松本梨香……出身地が神奈川県であるため。
みずしな孝之…「ササキ様に願いを」が縁で当時の選手と友人もしくは知人になっている。監督も権藤監督とは面識有り。(連載当時、娘がファンだった。)