ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

メタフィクションの編集履歴

2021-06-20 11:20:40 バージョン

メタフィクション

めたふぃくしょん

メタフィクションとはフィクションの特殊な形態の一つである。ここは概要だからリンクや画像を入れられないんだ。

君はピクシブ百科事典の「メタフィクション」の項目を読み始めようとしている。

概要

fiction(作り話、創作)に「高次の~」「~を超えた~」という意味の接頭辞「meta-」を付けた言葉。


フィクションとは基本的に閲覧者(視聴者、読者、プレイヤー)を現実から虚構の世界に踏み入れさせ、その世界を感じ取る事を目的としている事が多い。

映画を見ていればその視聴者は映画の世界観に漬ることになり、ゲームをプレイしていればプレイヤーはそのゲームの世界に漬ることになる。

その中で「それがフィクションである」ということを意図的に描き出したものをメタフィクションという。


別の言い方をすれば「現実世界」「作品世界」の2つが交わらずに完結するのが非メタフィクション、更なる重層化や階層の混乱を起こす作品がメタフィクションである。


メタフィクションの例

枠物語

メタフィクションの最もシンプルかつ最も歴史ある形式は作中作、詩中詩、劇中劇である。

小説家や漫画家を扱う作品は多かれ少なかれこのタイプのメタフィクションと言える。

このような導入部の物語を外枠として、その内側に物語を入れ込んでいく入れ子構造の物語形式を指して「枠物語」と呼ぶ。

お話おばさんが姫へ話す『ペンタメローネ』「東アジアのどこか」の王へ娘が語る『千夜一夜物語』など。

マトリョーシカ構造だけ」なら夢野久作の『白髪小僧』というのがある。


古くはホメロスの『オデュッセイア』で、主人公オデュッセウスが異国の地で自分の来歴を長々と語るシーンが挙げられる。

初の近代小説である『ドン・キホーテ』は、前編がこの枠物語(話の合間に、ムーア人ベネンヘリの書いた話を発見したセルバンテスが、翻訳できる人を探すという偽メイキングが入る)として語られるが、後編は後述するほとんどのメタフィクション手法を全面的に駆使したメタフィクション小説の先駆として名高い。


野中英次の『魁!クロマティ高校』は、読者と作品の間に作者の他に架空の「へたな漫画家」が介在する(偽メイキングでは「のなーえいじ」と言う作家が登場する。

その為「正しい作者」による「いつまでたっても絵が上達しない絵によるしょーもないマンガ」と言うマトリョーシカ構造となる。


メタ発言

作中のキャラクターが作品外部の事情に言及する等の「メタ発言」と呼ばれる形式は漫画を始めとしたギャグとして多用され、かの漫画神手塚治虫もよく用いた。

劇中のキャラクターが「この作品の中ではこう言うパターンなんですよ」と言う『忍たま乱太郎大人の事情で作中はアルコール飲料が出ない旨を言う『はれときどきぶた』人物が作者へ文句を言って展開をなんとかしようとする『七色いんこ』など、例を挙げればキリがない。

戦闘メカザブングル』の他に「アニメだから」という台詞が登場する『フィニアスとファーブ』では「ここは回想シーン」「さっきの台詞はエコー入ってたんで聞こえなかった」「そろそろCM」という発言が頻出する。

なお、題材がゲーム物(ホビアニ)やアイドルアニメの場合、テレビ番組の収録などで「ここでCM」の発言後に本当のCMも流れるという演出があるのだが、これはメタ発言というよりは演出と受け取られる場合がある。リアルのCMではなく作品内のCMが流れた場合はメタ発言かもしれないが。


作者登場

モブや後書きに作者自身をキャラクターとして登場させ、作中の矛盾点への言い訳や説明をさせるという方法もある。この手法も手塚治虫が多用している。

ブラック・ジャック』でも劇中で編集者が手塚先生へ「またBJが治すんでしょ!」というシーンがある)したことで知られる。

原作者が単行本の巻末などに描く楽屋ネタ、創作関係者が描くエッセイが独り歩きしてしまったようなものもある。

パタリロ!』では、劇中原作者が「構成のずさんさを主人公に怒られる」「まったく関係のない話をする(夢の話とか趣味に関する愚痴とか)」といったシーンが多数登場する。


主人公が原作者「竹熊健太郎」と作画担当の「相原コージ」である『サルでも描けるまんが教室』では「劇中漫画の、読者に指摘された破綻を無視する」というネタが「そのスタンスに関して実在の漫画家から実作者へ苦言が来る」と展開する。

さらに『翔んで埼玉』(原作の方)では、「設定上原作者が出身地に関して表明」しなければならない状況ができたので設定の上での妥当な出身地をわざわざ言うシーンがある。


「受け手」に注目する形式

漫画の中で「漫画を読んでいる人」に対してスポットを当てる、ゲームの中からプレイヤー(≠主人公)に語り掛けるという風に、「受け手」に注目する形式も考えられる。


いきなり「あなたはいまイタロ・カルヴィーノの新しい小説を読み始めようとしている」という書き出しではじまるイタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』が代表的。

小説『トリストラム・シャンディ』は、作中作の作者(主人公のトリストラム)が読者に対して語りかけてきたり、突然展開が「読者の想像」にお任せされたりする。


子供向け作品で「もっと応援して!君たちの声援が力になるから!」と子供たちに応援を求めるのもこの形式に含まれるかもしれない。

究極超人あ~る』など登場人物が「カメラ目線」で語るシーンがある作品の他、登場人物が受け手へ語る作品がある。

受け手を意識したメタ発言に関するお約束として、『警部補古畑任三郎』のように主人公がカメラへ向かって視聴者へ犯人について語るシーンや、「ここからしばらくギャグ有りませんよ」と言う人など(『モンスターメーカー』のCDドラマ)へ「あんた誰に向かって話してるの?」というツッコミをする人が出るというものがある。


「単に読者を意識しているだけ」という者としては、『パタリロ!』で、「ご都合主義」なと前置きをする登場人物AへBが「相手は素人なのでそういうことは言わなくていい」というシーンがある。


ゲームのシステムをシナリオの一部に組み込んだもの

登場人物がフィクションの住人である事を理解していないタイプに当たる。

作中では単に異能として処理されることが多い。

同じような例で言えばエンディング詐欺や巻き戻しの演出もある意味メタフィクションに当たるだろう。


その他

「『小説とは何か』について論じた小説」のように、媒体そのものについて語るという形式もある。

この場合、作中のキャタクターが物理法則を破るわけではないのだが、読者は否応なしに「この理論は今読んでいる小説にも当てはまるだろうか?」などと考えることになる。


「何かが壊れた演出として、ページ自体がビリビリに破かれた小説」「圧倒的な力の表現としてゲームシステムに必要なゲージや体力バーを吹き飛ばす、あるいはそのものを武器にする」などの、媒体の枠を超えた演出も一種のメタフィクション的技法と言える。


とり・みき『猫田一金五郎の冒険』シリーズの 京極夏彦との合作『美容院坂の罪作りの馬』では、当初「設定に対する意見が頻出する小説」の形を取って始まり、話が進行するにつれ枠線と吹き出しが現れ、漫画の形式となり、死体は「絵にもかけない複数の死体」や「死体A」などの文字で表現される。


大江戸ロケット』や『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』では、アニメの制作でよくある「事故」が劇中に登場し、それについて登場人物が説明するシーンがある。


筒井康隆の小説『虚航船団』では

ホッチキスが、口からコ

          コ

          コ

          コ

          コ

          コと吐き出し

というシーンがある。


メタフィクション的な表現は得てして(作中の)物理法則を破り、フィクションの世界観に漬っている人を現実世界に引き戻す力を持っているわけであるから、無闇に用いるべき手段ではない。


一方で巧みなメタフィクションは受け手に鮮烈なメッセージを届けることができるため、上手く使われた作品は高く評価される。


メタフィクション作品

メタフィクションの中でも、単なる1シーンの技巧やギャグ描写、特殊演出に留まらず、メタが作品の根幹となっている作品がある。

  • Undertale
    • インディーズRPG。画面表示の破壊、セーブデータの改竄、プレイヤーへの語りかけ、ゲームシステムについて論じる等、さまざまなメタフィクション技法がふんだんに用いられる。
  • うみねこのなく頃に
    • ビジュアルノベル。孤島を舞台にした殺人事件を巡るミステリーだが、この事件の真相に関する議論が作品世界を飛び出し、上位世界での論戦が主題となる。
  • かまいたちの夜
    • 1では本編がプレイヤーがプレイするゲームであることを気付かせるシナリオがあり、しかも、シナリオごとに人物の設定が違い、劇である伏線が散りばめられている。
    • 続編であるかまいたちの夜2では1が実在の人物の名前を借りたフィクションだったと判明する。そして、2も別の現実で作られたフィクションだったと判明する。
  • 学校を出よう!
    • ライトノベル。主人公の一人、宮野秀策は作品世界が上位存在によって小説のように書き換えられる世界であることを認識する。上位存在は世界に解決不能な問題が発生しないように工作し、この小説のストーリーを成立させようと努力する。
  • 君と彼女と彼女の恋。
    • エロゲ。ヒロインは自分が「アダルトゲームのヒロイン」であることを認識しており、作中でゲームシステム自体の再構築が行われる。また読者への語りかけ、パッケージを使った仕掛けもある。
  • 第三世界の長井
    • 漫画。作中に「設定XX」と書かれた便箋が登場し、作品世界の設定を書き換えていく。また作中人物が「絵柄」「版権」等についての言及を行う。ながいけん作。
  • てさぐれ!部活もの
    • ショートアニメ。「部活もの」とは何かについて作中人物が模索する。OPテーマ『Stand Up!!!』も「OPムービーあるあるネタ」についての歌詞であり、極めて自己言及的。
  • デッドプールシリーズ
    • アメコミ。主人公デッドプールは自分が漫画のキャラクターであることを認識しており、終始メタ発言を繰り返すが作中では狂人の戯言と思われている。ゲームや映画などの外部出演でもスタンスを崩さない。
  • DokiDokiLiteratureClub!
    • 詳細は控えるが、メタフィクション系ホラー演出を含むゲームである。
  • トリストラム・シャンディ
    • 上記参照。「墨流し」「定規とフリーハンドで書かれた線」「作中人物へ捧げられたと称する何十行かの空白」は岩波文庫でも確認ができる。
  • ドン・キホーテ(後編)
    • おそらく世界一有名なメタフィクション作品。後編の作品世界では前編が出版されて評判になっており、登場人物が前作の矛盾をめぐってドタバタを繰り広げる。また、作中に作者が登場してネタを探し回ったり、登場人物が主人公一行に前編の内容を下敷きにした悪戯をしかけるという趣向がある。
  • メタルギアシリーズ
    • オセロット「連射パッドを使おうなどと思うなよ」、サイコ・マンティス「今からそのコントローラーを俺がサイコキネシスで動かしてみせる」「ときメモが好きなようだな」など、時々メタなセリフが入る。
  • ファニーゲーム
    • ある登場人物が「これは映画である」と自覚しているうえ、カメラ目線で観客に話しかけてくる。さらには自分に不都合な展開があった時に映画を自ら巻き戻して時間を遡り、それを阻止してしまうというシーンがある。
  • ムカデ人間シリーズ
    • ホラー映画。一作目ではハイター博士の狂気的な犯行を描いた物語だが、続編の「ムカデ人間2」では一作目を劇中劇として視聴したマーティン・ローマックスの犯行を描いた作品となり、三作目の「ムカデ人間3」では前二作が劇中劇として作中で批評されるシーンが何度も登場する他、ムカデ人間の監督が本人役で出演するなど、よりメタフィクション色が強い内容となっている。
  • Re:CREATORS
  • 究極超人あ~る
    • 1987年の」「週刊少年誌に掲載されている」「漫画」であるという前提に言及する演出が多数登場する。
  • しあわせのかたち
    • CDドラマ版第2弾『ふしあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウスってポインティングデバイスの方)』はa収録スタジオを舞台にしてb「古本新之輔」「山寺宏一」「佐久間レイ」が“顔”を出した状態で声を当てるcおまえ、コイツ、べるのが「さくらだまきち」(彼には他の人が顔を出しているのに対し「土師孝也が声を当てている」という演出はない)をゲームマスターと呼ばれる語り手と(ナレーター扱いだけど)しているd現代日本(通貨は「ゴールド」で「セミ人間」とかいるけど秋葉原)での探偵ものTRPGのリプレイをやる、という多重構造であり、「役者は基本3人」「声優演じるキャラクター扮するプレイヤーキャラクター」「スタジオ内で収録」という演出で話が進行し、(厳密にはキャストはあと千葉繁さんが「音響監督」役で登場して…)「階層の混乱」が興る。
  • ヘボット!
    • 第1話で「もっと後の話」が登場し登場人物がその旨を説明する。上に作中の時空間は本放送の時間へ合わせるべく徹底した言訳がつけられ、番組終盤では「この作品はいかに企画されたか」が登場し、何人かのキャラクターは「没になった主人公案」と紹介される。この作品では、メタフィクションでの限界を突破する手段として二次作品を用いる。
  • 封神演義藤崎竜版)
  • 劇場版ウルトラマンガイア
    • テレビ番組『ウルトラマンガイア』の主人公高山我夢に憧れる小学三年生の少年、新星勉は勉強もスポーツも苦手な気弱な少年の目線で物語が進む。
  • ウルトラマンマックス
    • 本作では世界観を問わないバラエティ豊かな世界観で「怪獣漂流」では作中にてウルトラマンマックスが放送していたり「胡蝶の夢」のメタフィクションが込められた難解かつ夢と現実が錯綜する幻想的なエピソードがある。
  • 仮面ライダーディケイド
    • 平成仮面ライダーシリーズ10作目として製作された特撮作品。独立した世界観を保っていた「平成一期」と呼ばれる作品群の締めくくりとして、それぞれの世界観を破壊して繋げていく「世界の破壊者」の物語。カメラ・写真・フィルムなど「記録」に関する要素がメタファーとして演出され、完結編では「ライダーの物語」を紡ぐのは「人々の記憶」というメタフィクションを踏まえた結末になっている。
  • 仮面ライダージオウ
    • 平成仮面ライダーシリーズの節目として製作された特撮作品。その事もあってか特に映画版では、「仮面ライダーというコンテンツはどれほど子供達の心と記憶に残ったのか?」そして、「平成という一時代を若者達はどう生き抜いたのか?」と言うことに対して真っ正面からぶつかった作品となっている。
  • ドゲンジャーズ
    • 前述の様々な作品とは大きく異なり、彼らの場合は実在するヒーローなのを逆手にとった特撮作品になっている。作品の内容としてはフィクションだが、登場するヒーローや一部の舞台などが実在するという事でイレギュラーな作品と言えるだろうか。

関連タグ

メタ メタ発言 第四の壁

フィクション 観客席 舞台裏 楽屋裏 現実オチ 楽屋オチ

現実 スタッフ 俺ら

劇中劇 絵中絵 作中作 事実は小説より奇なり

騙し絵 マトリョーシカ 合わせ鏡

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました