概要
アドルフ・ヒトラー内閣が成立した1933年1月、面積、人口共にドイツ最大の州〔Freistaat〕であるプロイセン州の内務大臣となったヘルマン・ゲーリングが、左派勢力やワイマール共和政支持派の取締を目的に、プロイセン州政治警察を改組する形で発足させた。
詳細
ワイマール共和政発足後のプロイセンは一貫して社会民主党(SPD)、中央党(現存。現在のキリスト教民主同盟〔CDU〕の母体でもある)、民主党(現在の自由民主党〔FDP〕の母体)の中道左派連立政権が安定して続いていたが、1932年7月、ワイマール体制打倒を掲げるナチスの支持を受けるライヒ(ドイツ中央)政府のフランツ・フォン=パーペン首相は「ライヒ政府の命令に違反」を理由にプロイセンの首相、内相、ベルリン警視庁の正副警視総監を罷免し、自らが事実上の州首相である「ライヒ委員」に就いた。パーペンはヒトラー内閣発足により正式にプロイセン州首相(ライヒ副首相を兼任)となったが、その下で内相となったゲーリングが、州警察の政治警察部門「1A課」を改組する形で誕生したのがゲシュタポ(当初の正式名称は「プロイセン秘密国家警察局」)である。「ゲシュタポ」という略称は、郵便略号「GESTAPA(ゲシュタパ)」に由来する。
当初プロイセン州内務省の機関でしかなかったゲシュタポが全国機関となったのは、プロイセン州内務省がライヒ内務省に吸収された1934年5月である。背景にはゲーリングとライヒ内相ヴィルヘルム・フリック、バイエルン州政治警察司令官として行政面で頭角を現していた親衛隊全国指導者(SS長官)ハインリヒ・ヒムラーとの権力抗争があった。フリックはヒムラーにプロイセンとシャウムブルク=リッペを除くライヒ各州の政治警察の権限を与え、ヒムラーは残るプロイセンの権限を掌握すべく、ゲシュタポの不正を追求した。最終的にはゲーリングが自身の職である「ゲシュタポ長官」の代理にヒムラーを任命する事で決着が付き、ヒムラーはゲシュタポも自らの指揮下に置くことに成功する。そしてゲシュタポの運営は腹心であるラインハルト・ハイドリヒに任される事となる。
1936年6月にヒムラーがドイツ警察長官(現代日本の警察庁長官にあたる)に就任するとゲシュタポは再び改組され、刑事警察の凶悪犯部門と統合して「保安警察(SiPo、ジポ)」となった。さらに1939年9月、ナチスの機関である親衛隊諜報部 (SD) と合併して「国家保安本部(RSHA)」の第4局になり、1945年5月の敗戦まで存続した。
ニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」で告発され、有罪判決を受けた。しかし職員の一部には東西に分裂したドイツやアメリカの諜報機関や、中南米の警察機関に再雇用された者も少なくない。
pixivでは
…とまあ、だらだらとゲシュタポの歴史を書き連ねてきた。ゲシュタポに関しては本気で書こうとすると大量の字数を費やしピクシブ百科事典の趣旨を逸れかねないので、その行動や内情は敢えて省き歴史だけに止めたが、それでも長い。が、何でこんな記事が出来たかというと、ひとえに『艦隊これくしょん』のおかげである。
そもそも『艦これ』関係の作品には、艦娘に不埒な行為を働くに提督達に対して「憲兵さんこっちです」というタグが用意されているが、2014年3月14日の『艦これ』アップデートでゲルマン艦娘が実装された事に伴い、「憲兵さんこっちです」のクリークスマリーネ(ドイツ海軍)版として「ゲシュタポさんこっちです」のタグが設けられた。それに従って本記事が出来た訳である
なお、『艦これ』ゲルマン艦娘実装以前から、「ゲシュタポ」のタグが付いた作品も投稿されている。
関連タグ
ゲシュタポさんこっちです (おまわりさんこっちですのドイツ軍バージョン)