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坊ノ岬沖海戦の編集履歴

2014-08-21 12:28:20 バージョン

坊ノ岬沖海戦

ぼうのみさきおきかいせん

1945年4月7日、沖縄へ水上特攻に向かう戦艦「大和」と護衛艦艇の第二水雷戦隊を、アメリカ海軍第58任務部隊の空母艦載機が撃沈・撃退した海空戦。 日本海軍が立案・決行した最後の大型水上艦による攻撃である。

注意

このページは艦隊これくしょん周りのことを調べることをある程度前提として記述しております。



日本側の参加艦艇

第1遊撃部隊と対潜掃討隊が出撃しており、後者は命令により反転帰還している。

対潜掃討隊は秋月型の花月と松型の榧、槇により構成される、第31戦隊であり、現時点で艦これ実装艦は無い。

第1遊撃部隊は第一航空戦隊第二水雷戦隊で構成されていた。


第一航空戦隊

大和(艦隊これくしょん)

大和型戦艦の1番艦

現代では言わずと知れた戦艦。 当時としては、帝国海軍の隠し玉。

沈没。被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。

左舷に集中して攻撃を受け、14時23分大和は完全に転覆し、大爆発を起こし、船体は真っ二つに折れ沈んだ。


第二水雷戦隊

華の二水戦と呼ばれた二水戦もこの時には生き残った艦の寄せ集めであった。


旗艦・矢矧

阿賀野型軽巡洋艦の3番艦

言わずと知れた大和の随伴艦。 全盛期の二水戦の旗艦であった能代の妹。

沈没。被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。

艦長と二水戦の司令は初霜に救助されており、二水戦の将旗も同艦に収容された。


第41駆逐隊

秋月型二隻で構成されている為、現時点では艦これ実装艦はなし。


終戦後は二隻とも埋め立てられ、福岡県北九州市若松区若松港の防波堤となっている。

冬月

秋月型の8番艦

帰還。中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。

終戦の5日後に触雷したため、復員船とはならず工作船として活動。

冬月コウゾウの名前の由来でもある。


涼月

秋月型の3番艦

帰還。大破、艦首部に直撃弾を受け大破。戦死57、戦傷34名。

前進すると海に突っ込んでいくとのことより、後進し単艦で佐世保に帰還。

それまでにも二度大破しており、三度目の大破となりながらも、終戦まで生き抜き、秋月型の中で一番最後まで活動していた。

その経歴はどこぞの重巡を彷彿とさせる。


第17駆逐隊

元の構成員として、磯風、浜風の他には、浦風、谷風がおり、艦隊これくしょんではどれも入手が困難なものとなっている。

真珠湾攻撃では一水戦として、阿武隈と共に南雲機動部隊の護衛で出撃している。


磯風

陽炎型の12番艦、元よりこの第17駆逐隊の構成員である。

2014年夏イベント最終ステージの報酬として実装。

至近弾により機関室浸水。航行不能になり、雪風により処分。戦死20、戦傷54名。

大和以外の大和型二隻(武蔵と信濃)の沈没にも居合わせている。


浜風

陽炎型の13番艦、元よりのこの第17駆逐隊の構成員である。

沈没。被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。

艦これにおける華の二水戦の代名詞、神通の最期の戦い、コロンバンガラ島沖海戦にも、後述の雪風と共に参加している。


雪風(艦隊これくしょん)

陽炎型の8番艦、元は第16駆逐隊(時津風初風天津風)の構成員。

艦これ諸提督ならご存知であろう幸運艦であり、浜風と同じく神通の元で二水戦として戦った。

帰還。至近弾のみ。ロケット弾の直撃を受けるものの不発(帰還後判明)。損傷無し。戦死3、戦傷15名。

書きだしてはきりがない為、当該記事参照。

大和の生存者を救助したのはこの艦である。


第21駆逐隊

元は現時点艦隊これくしょんで実装されている初春型駆逐艦4隻で構成されていた駆逐隊。

大淀、伊勢、日向と共に北号作戦に参加している。


朝霜(艦長:杉原与四郎中佐)

夕雲型16番艦、元は第31駆逐隊。十一水戦での訓練の後、二水戦に配属された。

機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶える。撃沈されたものと推定。隊司令及び艦長以下326名全員戦死。

艦隊これくしょん未実装であるが、早霜清霜が実装されたため、実装はそう遠くないと思われる。

(坊ノ岬沖海戦を模したイベントにあわせる可能性もあるが)


初霜

初春型の4番艦、元よりのこの駆逐隊の構成員。

帰還。至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。

知られざる歴戦艦(艦隊これくしょんにおいてもコモン艦で目立ったステータスもなし)

当海戦に於いて唯一の戦死者無しの艦であり、通信系が破損した大和に代わり、大和の横で通信を行い続けた。

当海戦に参加した日本勢の艦では最年長であり、乗組員の練度も高かったと言う。

『戦艦大和ノ最期』ではあらぬことを書かれているが、初霜が救助したのは矢矧の乗組員であった。

そのため、二水戦の将旗を収容しており、二水戦の解隊も初霜艦上で行われた。


朝潮型の9番艦、元は第18駆逐隊(陽炎不知火

一水戦と二水戦を行ったり来たりしており、日本海軍最後の戦術的勝利を収めたとされる礼号作戦において、二水戦の旗艦を務めたこともある。

直撃弾2発。うち1発が機関室直撃、破壊。航行不能のため、冬月により処分。戦死17、戦傷47名。



その他、予定はあったものの、参加しなかった艦艇として、響、酒匂などがいる。



関連項目

五十鈴(艦隊これくしょん) 同日に沈んだ軽巡洋艦

扶桑 山城 サイパン島において、当作戦の大和と同じ運用をするというプランがあった

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