菊月(艦隊これくしょん)
きくづき
投稿では「菊月」でされていることが多い。
史実での経歴
睦月型の9番艦。
舞鶴工作部(舞鶴海軍工廠)にて、1926年(大正15年)5月15日進水し、同年11月20日竣工された。
1928年(昭和3年)、「菊月」(長月の異称)に改名された。
つまりとは同じ月を表す名前になっている。
開戦時は二航戦隷下である第二十三駆逐隊に所属していたが、真珠湾攻撃には参加してない。
グアム島には往っていたものの、その後はソロモン辺りでの護衛や支援ばかりだった。
MO作戦序盤、ツラギ攻略にも参加していた。
しかし給油中に爆撃に遭い座礁、そのまま止めを刺されてしまった。
その残骸は今も放置されており、グーグルマップ等で確認することが出来る。
概要か?
『艦これ』では序盤から手に入るコモン艦の一隻として登場。
白銀の長髪に赤眼、蓮っ葉な言動の多い「寡黙な軍人」を思わせるキャラクターをしている。姉の長月がやる気に満ちた「小さな軍曹」なのに対し、菊月はあくまでクールな面を強く押してくる。
「礼は言わぬ……」
「……で?」
など、そっけないセリフが多い。
セリフが短くクール系で戦歴に恵まれなかったと、初春型の若葉と通じるものがあるが、あっちはどちらかというと「仕事中毒(ワーカーホリック)」気味で若干天然ボケも入っているため、また趣向が違う。
……が、しつこくつついていると――
「うぅっ、なんなのさ、一体っ……!?」
と、普通に恥ずかしがる様子を見せる。
また中破以上で入渠すると、
「うむ……実は辛かった……。轟沈は嫌だからな……」
と、割と素直な態度を示してくる。
戦士としての武勲に憧れながらも、根はイイ子なのかもしれない。
提督に対しても基本的にはクール&ドライ。
ただ、与えられた装備の使い道を真剣に考えたり、先述のように素直に弱音を吐いたりと、信頼は置いてくれている模様。そしてケッコンカッコカリのセリフでは、特大のデレとさびしがり屋な本性を見せてくれる。
こんな容姿は、威張れるものじゃないがな……
服装は皐月以降と同じで、黒地に裾や袖に赤いラインの入ったセーラー服を着用。だが、イラストにおいてはポーズの関係上ネクタイが見えない。
皐月と長月のように黒タイツ(もしくサイハイソックス)を着用している。
弥生(正確には『艦これ』での登場順から皐月)以降からある、三日月のエンブレムは腰の爆雷投射機のベルトに付けている。
艤装は、単装砲一門を両手で拳銃のように構えており、腰には爆雷投射機、図鑑の全身図では両足に三連装の魚雷発射管を装備していることが分かる。
この性能、何に使うか……
言動を見ていると大変頼もしいが、そこは睦月型。
旧型艦の宿命として「低性能・低燃費」であり、彼女の望む第一線での活躍には提督諸兄の並々ならぬ愛が必要となる。
そこまでの活躍を望まないにしろ、遠征要員としては適任であり、こだわりが無いのであれば日々の遠征で艦隊を支援させてあげよう。
うぅっ……なんなのさ、中二って……
武人然とした態度が目立つ中、性能が芳しくない、史実で武勲に恵まれなかった、おさわりしていると恥ずかしがる。
またセリフで――
「また強くなってしまった……」
「また戦場(いくさば)に身を投じる者が現れたか……」
などの独特な言い回しも手伝ってか、いかにも「歴戦の古つわもの」を気取っているように聞こえるため、一部ファンから中二病疑惑が浮上している。一部イラストではアラサーになってから再発した模様。
……まあ、口と実力が伴わないのは大目に見てあげよう。
実際、駆逐艦としては大正時代に建造された最後の艦であり、武勲こそ恵まれなかったものの、まぎれもなく相応の年期と経験を積んでいる。そして轟沈時のセリフでは、その覚悟が本物であることが分かるので、弄って遊ぶのはほどほどに。