戦時量産型駆逐艦である松型駆逐艦に、特務艦特型(第一号型輸送艦、松型の設計を応用した高速輸送艦)の設計をフィードバックして生産性向上のための小改良を施したもので、日本海軍駆逐艦最後の艦形となった。松型が「丁型駆逐艦」と呼ばれるのに対して「改丁型」と呼ばれる。
松型からの船体の主な改良点は次の通り。
- 設計のさらなる簡易化。松型で残っていた、日本駆逐艦特有の流麗なデザイン―複雑な艦首構造や艦尾の曲線状成形など―を廃し、徹底的に直線化している。また、二重底も廃止し単殻構造化した。
- ブロック工法の全面採用。溶接によって各ブロックを組み立て、船台で船の形に組み上げる。
- タービン構造の簡素化。
これらの改設計の結果、起工から竣工まで最短約5ヶ月という、従来の日本駆逐艦からすると驚異的(陽炎型や夕雲型だと1年半、下手すると2年かかっていた)な建造スピードが実現した。
一方で、従来の日本駆逐艦の弱点であった対潜装備は、三式探信儀と四式聴音機を搭載し大幅に改善されていた。三式探信儀と四式聴音機は、海軍がドイツから持ち帰った成果をもとに開発されたもので、従来の九三式探信儀と九三式聴音機よりも格段に優れた性能を発揮できた。
橘型が竣工したのは昭和20年に入ってから(ネームシップの橘の竣工が1月20日)であり、既に活躍の期待できる海域はほとんど残されていなかった。橘型が就役する頃になると日本の多くの港が機雷で封鎖されており、活動もままならないまま(あるいは本土決戦用に温存されて)停泊中に触雷したり空襲を受けて損傷・沈没するものが多かった。
このような末期的な状況の中で、6月18日竣工した初梅(橘型14番艦)を最後に建造は打ち切られ、この時点で竣工していなかった橘型は全て工事中止になった。