この城の歴史は古く、室町時代後期に大友宗麟などに仕えた吉岡長増(主に大友義鑑・義鎮に仕えた戦国武将、ただし本人の経歴は謎が多い)により建造されたとされる。
この城が歴史上に登場するのは、天正14年の島津家久による豊後侵攻において、妙林尼(吉岡長増の子である吉岡鑑興の妻、この人物も資料がない)により籠城戦が行われ、(和睦により)守り切ったとされる資料があるためである。
なお、この城自体は大友氏が改易となり、鶴崎が熊本藩(加藤清正)の所領となった。支城としようとしたが果たせず、廃城となり、結局細川氏の統治時代にその跡地には熊本藩鶴崎御茶屋という統治機関が置かれた。
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このような大変興味深い歴史がありながら、pixivのタグにおいては執筆時点では御城プロジェクトの登場人物が取り上げられるのみである。