長門型戦艦の2番艦で、いわゆる「ビッグ7」の1隻。長門に次ぐ日本海軍の象徴として日本国民から親しまれたが、昭和18年6月に瀬戸内海で第3砲塔火薬庫爆発を起こし沈没した。
内地で敵とまみえることさえなく、謎の爆発事故で沈んだ悲運の艦として有名。乗員1474人のうち、生き残ったのはわずか353人だった。ちなみにこの爆発事故は内部からの人為的な爆発である可能性が高いとされるが、誰によって引き起こされたかは明らかではなく、いじめによる自殺という解釈もあるが推測の域を出ない。他に「劣化した弾薬の自然発火」「駆逐艦・潮が誤って落としたまま放置されていた機雷に触雷した」という説もある。
陸奥の爆沈は国民の動揺を招くと考えられたため極秘にされ、死亡した乗組員の家族には給与の支払いが続けられていた。生き残った乗組員は口封じのため真っ先に激戦地に送り込まれ、そのほとんどが戦死したという。